コザの街エレジー(9) アメリカ・ムークー

ロメオが帰国してからもう2カ年になる……。

まるで熱病にかかったように抱きしめて愛をささやいてくれて5年前の彼、バクチに負けて1カ月の給料の大半をなくしてしよげていた彼、子供ができてからの冷たかった彼、それでも帰国する時は泣いて再会を誓い合った悲しみ……愛憎を超えて、過去の想い出の1コマ1コマが脳裏をよぎる。

もう4歳になったミッチーが、何を夢みているのかあどけない寝顔にうっすら笑みを浮べているのが弘子の胸をしめる。この六畳間の間借り生活がもう5年も続いている。

6年も前か……高校を卒業して軍に働くようになった弘子は、家庭では甘やかされて育った陽気な少女だった。

ジュリエットの嘆き / 小雨の中で悲しい別離

ロメオと知り合ったのは就職した年のクリスマスイブだった。

職場のパーティーが那覇のある料亭で開かれた。ロメオも職場の班長の友人として参加した。

楽しいパーティーだった。時間がたつのも忘れて唄い踊る中には12時を回ろうとしていた。4名残された女の子だけはロメオが送ってくれる事になった。車の中が3名はバックシートに弘子は助手席に乗せられた。

ロメオは酒気を帯びていたが紳士的に振舞っていた。歌詞はわからないが哀調を含んだスペインの恋歌だといって唄うロメオの声は弘子の胸にしみこんだ。翌日から弘子の仕事の行き帰りをロメオは自動車で送り迎えた。

彼は24歳だとそのとき自称した。大学を出たともいゝ、音楽が好きだといって弘子の心をさそった。やがて友人2~3名一緒に映画に誘われる事も数多くなった。

彼の友人たちも彼の事を好青年だと弘子に話した。彼の家が金持で、親も立派な人だともいった。

やがて2人の間から国境が取り去られ、人種的へだてもなくなった。彼の愛情が弘子を盲目にした。噂が立ち始め、両親の前に呼び出されたとき、弘子は2人の愛情の強さを父母に力説して理解を乞うた。母はそれほどまでならといったが、父は頑として許さなかった。「娘とは思わぬ、出て失せろ」と父は勘当をいい渡した。

それがむしろロメオと弘子の結びつきを早める結果になった。職場の友人も冷たくなった。

家を追い出された弘子は600円で間借り生活を始めた。ロメオはいつの間に〔か〕居座っていた。最初の7~8カ月は夢のように甘美な生活が過ぎた。

やがて彼女にベビーが出来たと知ったときからロメオは急に冷たくなって来た。夜の帰りがおそくなりがち、生活費といって渡す金も少なくなって来た。

自家用車なんて同せいすると同時に消えていた、給料も案外少なかった。酒のみでバクチ打ちだということもばれて来た。

家が裕福だということもウソっぱちで、小作農の息子だということもわかった。自家用車も弘子を落す手段として友人同志が集め合って買ってあったこともわかった。

すべてが弘子を落すための策略だったと、弘子が気付いたときはミッチーが生れようとしていた。

それからロメオが帰国するまでの2カ年、ミッチーの幼い寝顔に勇気づけられ、いつか夫の愛情もよみがえると念じつつ生き抜いた。バクチで勝って帰るときはいろいろとお土産を買って来て、キゲンを取ろうとするロメオの態度に、抑え難い胸の怒りをじっと我慢した事も幾度か……

◎…ロメオが帰る日、〔ホワイト〕ビーチは小雨に煙っていた。

「もう絶対にバクチは止めるよ。必ずもう一度沖縄に帰ってくるよ。今度こそきっと弘子を幸せにして上げる……。ミッチーにも……」。この一言を待ちわびて弘子は生きて来た。だがもう2カ年も過ぎてしまった。何の期待も今はない。どう生きて行くかが残された問題だ。

ロメオの事は忘れ得ると彼女は思っている………

だがミッチーが父を求める頃、何とこたえよう……

心に深く刻まれた想い出は年と共に悲しみと化すだろう。(Y)(昭和32年9月24日付琉球新報夕刊03面)

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