シージャ(先輩)たちのクリスマスイブ

今回は昭和37(1962)年12月25日の新聞記事から、アメリカ世時代のクリスマスイブの様子を紹介します。なお当ブログの読者ならブログタイトルからお察しかと思われますが、昭和37年は前年度に比べて犯罪発生率がアップしていますから、当然ながらクリスマスイブの夜も荒れまくってます。

今回はその中から、沖縄タイムスの夕刊を賑わした記事を複数紹介します。じわじわくる記事がお好きな読者のみなさん、我が沖縄の先輩たちのレベルの高さをご堪能ください。

アメカス

基地のイブ、大荒れ / 強盗、暴行…一夜で16件

基地のクリスマスイブは大あれにあれた。24日晩から25日未明にかけ米兵の強盗、器物破損、盗み、暴行などざっと16件をかぞえた。それにひきかえ、例年乱痴気さわぎの那覇市内の桜坂は人出も3~4割方へった。那覇署へのよっぱらい保護もなく、聖きこの夜はやはりあちらさんのお祭りにかわった。警本に報告のあった主な外人事件をひろってみた。(中略)(昭和37年12月25日付沖縄タイムス夕刊3面)

前年度の桜坂の乱痴気騒ぎが気になるところですが、米人のやらかしに対して当時の琉球住民たちがぶちキレるのも無理はないと思う記事内容です。そして米人たちの公序良俗に反する行為に対する米国民政府および琉球政府の対応が温すぎるという不満が後のコザ暴動に繋がっていきます。

無免許&飲酒運転

乗用車失敬、ぶつける / イブ帰りの酔っぱらい / 理髪店メチャメチャ

25日、忘年会のあと、イブの夜を飲みあかしたあさ帰りの酔っぱらいが、他人の車をシッケイ、理髪店にぶっつけ、店をメチャメチャにした。

同日午前8時45分ごろ、佐敷村津波古〇〇電気器具修理工宮城某(21)は市内壺屋町1丁目に駐車中の那覇市安里〇〇商業大浜某さん(49)の大型乗用車に無断で乗り、車をバックさせたところ、車はそのまま下地某さん(29)の “つぼや理髪店” にとび込み、柱3本を折り、ガラス戸を倒し、メチャメチャにした。

さいわい、店には人がいなかった。

宮城某は警本警ら隊に捕まってからも舌がまわらないほど酔っぱらっており、24日のよる忘年会に出席したことは覚えているが、あとはどこで飲んだか、サッパリだという。

宮城某は無免許で、

持っていた合い鍵で車の鍵をはずした。(昭和37年12月25日付沖縄タイムス夕刊3面)

説明不要。いかにも我が沖縄県民らしいやらかしっぷりに唖然とします。

聖夜の夜に

聖夜一万五千㌦の宝石盗まる / ゆうゆう明りつけ

歳末総合警戒取り締まり中の24日夜から25日未明にかけ、那覇市内の貴金属店に賊が侵入、時価1万5千㌦相当の貴金属品を盗んでにげた。那覇署は鑑識課、刑事を非常招集し、捜査をはじめた。

松尾の宝石商 / バールで裏口から侵入

24日午後10時半ごろから25日午前3時50分までの間に、那覇市松尾113、伊佐某さん(52)経営の “オリエンタル・ヂエムス” = 貴金属店 = に賊が侵入、店内の陳列棚からヒスイのユビワ200個、カフスボタン20個、ネクタイ止め20個、真珠のネックレス10個、ヒスイ石300個、時価1万5千㌦相当分の品物がごっそり盗まれた。真珠のネックレス200個(時価1300㌦)はうらの広場にすててあった。

賊は、店のうら側にある仕事場の幅3間のトタン張り戸板と、店内に通ずる中戸の2つを小型バールでこじあけて侵入した。店内の電灯をぜんぶ点けて、ゆうゆうと盗んでいる。

この日、2階には店員の小谷某さん(24)が泊まっていたが、人の気配は感じなかったらしい。午前3時50分ごろ、電話のベルで階下に下りていくと、戸があいていたようで、すぐ松尾派出所に届け出た。

那覇署は刑事を動員、現場の陳列棚、戸板などから指紋をとると共に、小谷さんから当時のくわしいもようを聞いている。

仕事場の台の上に犯行に使われたと思われる小型バールをみつけ、調べたら、ほぼ間違いないことがわかった。新品で、犯行のため買いこんだものとみられている。現場の状況から、2~3人の犯行の線が強いらしい。

賊が侵入した入口の戸は、カギはかけてあったが、簡単にこじあけられている。同店は、うら側に増築を予定していたので、無用心と思いつつ、そのままにしておいたようだ。

捜査陣はバールの買い入れ先、品物の処分先に重点をおいて捜査している。(昭和37年12月25日付沖縄タイムス夕刊3面)

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この記事は題字のセンスが抜群で、当時の記者のレベルの高さが伺えます。それと宝石商の防犯意識の低さは驚きの一言で、現代に比べて当時の犯罪発生率が最低3倍あったのも納得です。民間がこの有様では警察も防犯協会も大変な苦労をしていたんだなと痛感せざるを得ません。

お約束

桃色遊戯の少年、少女補導

25日午前3時ごろ那覇署は、市内の中学2年生の女の子をはじめ7人の少年少女を補導した。

N(19)= バス車掌、T(16)、K(16)= 高校2年、A(19)= 労務の男4人とS子(15)= 中学3年、K子(17)= バス車掌、S子(13)= 中学2年 = の計7人で市内寄宮275玉寄アパートにしのび込み “桃色遊戯” にふけっていた。(昭和37年12月25日付沖縄タイムス夕刊03面)

アメリカ世の時代から昭和、平成を経て令和にいたるまで、クリスマスイブ時の若者たちの行動は共通しているんだなと実感しつつ、今回の記事を終えます。

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