ソ連の裏と表 ⑷ – 全能の共產党に盲從 – 皮肉な声”一切の自由から解放された”

(四)【自由からの解放】 ソ連は一九三六年発布のスターリン憲法で市民に、出版、言論、集会、結社、信仰の自由を保証する旨明示してある。ところが実際にソ連の市民はそれだけの自由を享有しているのだろうか? 私の見たところでは、おそらくソ連ほど不自由な國はないと思われる。

一切が一党の統制下におかれるということは、個人の自由に非常な制限が加えられる。ソ連の市民の声を借りていえば、「ソ連は革命によって一切の自由から解放された」ということである。残された自由は、ただ共産主義を謳歌する自由だけである。政治結社の自由などは勿論ない。出版社は國営であるから厳格な共產党の検閲の下に出版物は発刊され〔る〕。政府や党に対する批判は許されない。わずかに批判として許されるのは、地方機関が中央指令に対する違法違反があった場合、或は個人の欠陥の指摘、文芸作品等の評價などに限られる。

「個人は悪い人間もあり得るから批判してもよい。しかしソビエト社会は唯一の最上の社会であり、共產党は全能であるから批判の余地はない」という。

新聞はプラウダ(真実)という共產党中央委員会の機関紙とイズヴェスチャ(報道)という政府機関紙と二色で、それの地方版が出る以外には、文学新聞とか専門新聞があるだけである。したがって一方的な報道と宣伝だけで、我々の期待する新聞の價値は全くない。ソ連には夕刊はない。毎日の新聞には、いつも同じ様に一面の左三分の一は、社説として党及政府の政策を謳歌する一文がクドクドしく繰返され、残る三分の二は各工場或は集団農場から党及政府に対する感謝と夫々の國家計画超遂行の報告の●間などが大げさに美辞麗句で並べられ、時には外國の首脳部、視察団等の訪問記事が写真入りで載る。二面には党活動の解説指導或は個人表彰勲章授与など。

三面は文芸作品の評論と外國事情の解説(但しこれは共產國以外は絶対に否定する)。四面には外電ニュース(勿論これも自由主義諸國の悪い反面だけを針小棒大に)、学校案内やら新設国営デパートの紹介などが載っている。

宣伝の文が嫌気のする程の自賛的なのはまだいいとしても、國外事情の解説や外電などに至っては、全く笑い話に等しい。例えば日本は現在も食糧難のため明日にも國民の大部分が餓死するかの様な事を平気でデカデカと書いて報道し、桜島が噴火すれば、九州の〔半〕分位が全滅したかの様に伝える。ラジオはみな有線の親子ラジオである。ラジオ受信機はデパートで売ってはいる。勿論買い手があれば売る。登録して持って帰って家で聞く事も出来るわけだが、受信機を備えるとゲペウ(秘密警察)の常時監視を受けるので、外國放送は聞く〔事〕が出来ず、しかも常に疑いの目で見られ、不安におびえていなければいけない。従って買う人はいないということになる。そのかわり各都市農村には國営のラジオ局を設け、申込に応じて有線で必要なものだけを國内放送で伝えるわけである。この様にして外國の実情は出来るだけ知らせない様にし自國の社会制度の優越性を強調し、國民生活は常に自由諸國よりうんとよい事にしておいて、まだまだ國民生活を向上させるためには資本主義の包囲を解かねばならないのだと教えていく、即ち世界を赤化する迄は或る程度の不自由さは我慢しなければならないとし、資本主義諸國の國民は、ソ連に比較出来ぬ程の苦しい生活を強いられているのだと、盲目にされた國民に信じされているわけである。國内の旅行でも好きな時勝手にする事は出来ない。パスポート(身分証明)を呈示して旅行の目的、理由が確認されなければ切符は発行されない。鉄のカーテンの中は不自由な世界である。(1957年5月3日付沖縄タイムス夕刊4面)

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