ソ連の裏と表 ⑹ – 廣き門は”監獄” – お互にコワイ・政治的警戒心

(六)広き門 ソ連の憲法では一応保証があって、裁判は民事、刑事訴訟法に従って成立することになっている。検事は任命で判事は選挙である。特に変っている様に思われるのは、特別裁判と呼ぶ欠席書類裁判のあることである。これがクセモノで國家的重罪犯はこの特別裁判に付する事を得る、となっているが、実際には重罪と思われる事件は現地で即決し、証拠不十分で折角逮捕した者を釈放するのは惜しいと思う時は、勝手に都合のよい調書を作り上げてモスコーの特別裁判に回す。

モスコーでは書類審議で判決だけが一枚の紙片となって被告に送られて来る。一度何かの嫌疑で逮捕されたら、ソ連では無罪放免ということは先ずない。幾つの事件を作り上げたかというのが調書官のノールマ(作業基準)となり、月給の額が決められるから一生懸命である。又國家としては、一人の本当の罪人が含まれてさえいれば、九十九人の無実の罪に泣く者を敢えて作っても構わないという方針だからたまらない。普通刑事犯、政治犯ともに世界に類を見ない位多い。泥棒はソ連では当り前のこととされている、が捕まったら大変である。同じ泥棒でも私有財産を盗った場合と國有財産を盗った場合とは、それを罰する法律が異なり、國有財産を盗った場合は重罪である。農民が自分で作った農作物を畑から取って来たら十五年以上の懲役になる。畑にあるものはすべて個人のものではなく、社会的所有物だからである。

人参や馬鈴薯を一キロ盗んで十五年も懲役にいくか、人間を一人殺しても殺人罪は五年位で済む。つまり個人の所有物である生命よりも國有財産の人参馬鈴薯の一キロの方が國家にとっては大切だというわけだろう。

「コンバインで粗雑に収穫したあとは畑にはずいぶん取り残した馬鈴薯がころがっているんですよ。ほっとけばどうせ腐れてしまうものだし私達は自分で作っても國家に義務納入すれば自分の食う分すら十分にはないんですから、腐らす位なら呉れてもよさそうなものを少しばかり持って帰ったといって私は十五年買いましたよ」と或る農夫はこぼしていた。

しかし何といってもひどいのは政治犯である。ソ連では共產党は唯一の党であるからそれ以外の政党は存在しない。党の指導には絶対服従が要求される。社会主義制度は完全無欠だという事になるから、若し何らかの犯罪が行われた場合は共產主義を理解しない個人が悪い、といい共產主義建設の発展を邪魔する者として重く罰せねばならないという。しかし実際にはソ連の國民は六百万の党員は別として、一般大衆は共產主義の何たるかを理解しているのは少ない。長い間権力の圧制下に属従〔従属?〕を強いられて来たロシヤ人は共產主義独裁の下にあっても矢張り長いものにはまかれろ式でついているに過ぎない。共產主義の何たるかを知っている者は、それに対する疑問と不安を持っている人である。が、うっかり口にすることは出来ない。共產党が権力獲得以来、終始一貫党員間の鉄則として来たのは「政治的警戒心」ということである。裏切り者はいないか、と常に自分以外の者に対しては疑の目を以て見ることを教えられている。大臣も、工場長も、父も、子も、夫も、妻も決して安心してはいられない。そうなると誰でもがこわい。ソ連國民の一番の不幸はおそらく此の点だろうと思う。

社会に対する不満も、國產品の外國製品との優劣の比較もみな政治犯として反共の罪を問われる。遅刻も缺勤も政治サボと見られれば重罪である。「百人の内九十七人の反対者を殺しても、三人で共產主義社会を作ってみせる」という主義だとある老人がフンガイしていた。人民の為という対象は誰か?ソ連では監獄の道は広く開放されている。

(1957年5月5日付沖縄タイムス夕刊4面)

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