ソ連の裏と表 ⑼ – 中継監獄と囚人列車

中継監獄というのは、ソ連独特の監獄でおそらく他の國にはその例がないと思う。余りにも多くの囚人を持っている國だからその必要があるのだと思うが、苦しい中にも考え様によっては一番ソ連らしい味のある面白い所である。

ソ連の國内を縦横に走る鉄道の普通列車には必ず最後尾に一両或は二両の囚人護送専用車が連結されている。箱は同じだが窓が鉄網張りになっているから、注意すれば旅行者でも気が付く筈だ。出入口は外部から見えない所に鉄冊扉が付いている。中の作りは客車と同じだが各室に分れて更に厳重な鉄網が張り回され、丁度動物園の檻の様な格好になっている。箱は三段に仕切られ下段は腰かけ中段上段は横になったきり動けないようになっている。定員は一室十六名が数室あるが各室とも常に定員倍位はつめ込むからまさに生地獄の感がある。逃亡の一番多いのはこの輸送途中だそうで護送の兵隊達は殺気立っている。囚人の積下しの際は絶えず大声で罵倒し、理由もなく銃の台尻で叩く蹴る、メチャクチャである。あらかじめ威圧を与えることによって服従を強いるというのがソ連式だと古い連中はいっていた。

移動の時は三日分乃至五日分の旅行中の食事が黒パンと砂糖と塩魚でまとめて渡される。空腹を我慢し続けてきた囚人達にとってはせめて一度だけでも満腹感を味ってみたいというのが切ない願であるから三日分でも五日分でも貰ったら、しばらくはながめて先ず眼で十分味ってから最初の一日で大底平らげて了まう。丁寧に予定日を組んで残して食べようと仕舞っておいた者は、やくざな奴に強奪されて了まうのがオチである。囚人の世界は弱肉強食の世界である。魚というのが物すごく塩からいやつで、それを五日分も一日に食べると大変である。のどがやけ付く様に渇くあっちでもこっちでも水呉れ呉れの叫び声が聞えるが車内には水はない。大きな駅に着くまで我慢しなければならない。悪いことにはシベリヤの旅は半日ぶつ通しで汽車で走っても中々町に着かない。声もかれてしまった頃やっと駅に着いて水が馬穴ごと運び込まれるとさあ大変である。まるで牛みたいにのどをゴクゴクいわせてたらふく飲んで安心するのもつかの間、今度は当然の生理的要求に迫られる。小便がつまってくると四苦八苦である。ところが便所は朝晩一回限り一人ずついちいち鍵を開けて廊下に出すことになっているから日中や夜間は出さない。仕方がないから靴の中やあり合せのボロ切にしまうやら異様な光景が展開される。そして第二日目第三日目と段々静かになっていく、あとは食べず飲まずで次の監獄迄黙って寝ている。かくして何日か後に着く行く先が中継監獄である。囚人の旅行を引継ぎ六日以上続けることを禁ずると法で規定してあるのはその事情を十分承知している賢明な為政者達が囚人の健康を心配しての有難い計いではなく、護送途中の囚人の死亡は処置に厄介だからということだ相だ。実際六日以上もこんな旅をしていたらとても身体が持ち相もない。汽車の箱から下された時はしみじみと空気のうまさを感ずる。

中継監獄はつまり囚人移動の為の木賃宿である。同じ監獄には違いないが旅行間の一時監房だから、設備も悪く職員も至って無責任である。シベリヤ鉄道の沿線には、ハバロフスク、イルクーツク、ノボシビリスク、クラスナヤールスク、スペルドロフスク等に大きな中継監獄がある。汽車と中継監獄との護送の為には「黒い鳥」と呼ばれる窓のない鉄板張りの大型自動車があるが、間に合わない時は普通のトラックが利用されることもある。(1957年5月8日付沖縄タイムス夕刊4面)

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