ミヤザキ政久(宮崎政久)さんの落選を惜しむ

先週日曜日(10月22日)に行われた第48回衆議院議員総選挙は、当初の予想通り自由民主党(以下自民党)が284議席、公明党29議席と併せて313議席(総議席数465)の3分の2を獲得する圧勝の結果に終わりました。我が沖縄県では、1,2,3区ではオール沖縄の候補が勝利、4区では西銘恒三郎さんが勝利、比例当選をあわせて6人の代議士が選出されました。

自民党の圧勝の理由は明白でしょう。極東有事(北朝鮮情勢)が緊迫しているなかで、挙国一致体制を志向するのは至極当たり前のことかと思いますし、実際に有権者もそのように判断したと解釈できます。立憲民主党が予想以上の議席数を獲得した理由は、おそらく「東アジアの情勢が不透明なので、自民党に政権をゆだねるのはやむを得ないとしても、憲法改正は拒否」という有権者が一定数存在していたと考えていいかもしれません。

今回の選挙において、我が沖縄はオール沖縄および保守陣営ともに“痛み分け”の結果になりました。理由としてオール沖縄は4区を落としてしまい、保守は2,3区の議員が落選(比例での復活当選なし)し、結果として両陣営ともに獲得議席数を減らしてしまったからです(下地ミキオさんは立ち居地が良く分からないので今回はあえて言及しません)なおブログ主の個人的な感想は

・期日前投票率が高かったこと。

・沖縄1区におけるオール沖縄陣営の底力には素直にすごいと思ったこと(これ以上獲得できない限界ぎりぎりまで集票したイメージ。だがしかしそのあおりで4区を落としてしまった感は否めない)。

・違法(の疑いが高い)看板の設置が相変らず多かった。そんななか1区の国場幸之助さんのクリーンな戦い方が印象的だったこと(比例とはいえ幸之助さんが当選した意義は大きい)。

になりましょうか。他にも伝えたいことはありますが、今回は2区の宮崎政久さんの落選について思う事を記載します。正直言いますと2012年の第46回衆議院議員に立候補したときは「だれ、この人?」程度の印象しかありませんでした。宜野湾市民のブログ主には安次富修(あしとみおさむ)さんのイメージが強い選挙区でしたし、それに彼は他府県出身者(長野県上田市)なので、「自民党も人材いないのかな?」と思ったぐらいです。

沖縄2区はご存知の通り照屋寛徳さんが圧倒的に強い地区です。その大正義ぶりは現在の区割りで選挙が行われるようになった第43回以来、6期連続で当選されていることからもお分かりかと思います。ちなみに衆議院選挙におけるカントクさんの強さが分かる表を作成しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。

 

照屋寛徳陣営の凄さは、国政選挙において確実に有権者の5割を抑えることができる点です。宜野湾市に強力な地盤を持つ安次富修さんですら歯が立たない相手に3回連続で挑むことになった宮崎さん、過去3回の対戦を見ると、得票数および得票率が順調にアップしています。特に今回選挙における64,193票と、得票率41.06%は過去のカントクさんの対戦相手を見ても最も健闘した部類であることがお分かりでしょうか。この事実は宮崎さんの知名度が沖縄2区に徐々にではあるが浸透していることに外ならず、後援会をはじめ組織もしっかり機能していることが伺えます。

たしか沖縄の歴史において、県外出身者の衆議院選出はたった5名で(麓純義、手塚正次、亀割安蔵、竹下文隆、宮崎政久)、しかも2期つとめたのは麓純義氏(ふもとすみよし、鹿児島県出身)と宮崎さんの2人です。宮崎さんが比例当選とはいえ沖縄選出の代議士を2期務めた事実の凄さに気がついていない人があまりにも多すぎます。

復帰後の国政選挙において、本土出身者の出馬は思いもよらぬことでした。「アンネールー、ナイチャーガ?(あんな本土出身者が)」と有権者からバカにされるのがオチです。沖縄2区で強固な地盤を持つ照屋寛徳さんに3回連続で挑み、しかも得票数、得票率をアップさせた事実は、「沖縄はナイチャーに差別されている」という劣等感が有権者(および地域)から消えつつあることを意味しているのです。だからブログ主は今回の選挙で宮崎候補を支持したのですが、落選は本当に本当に残念な思いでいっぱいです。最後にフェイスブック上にアップされた宮崎さんの敗戦の弁を掲載して、今回の記事を終えます。

この度の衆議院選挙では、多大なご支援を頂いたにもかかわらず当選を果たすことができませんでした。すべては私の力不足であり、応援して下さったすべての皆様に、お詫びを心からの御礼を申し上げます。64,193名もの方からご支持頂き、前回から大きく得票数を伸ばすことができたことは、私の人生の宝です。今は、多くの方のお顔、かけて下さった温かい言葉、握手を交わした手の温もりや力強さ…すべてが脳裏に浮かびます。Facebook,Twitterはじめ様々な場所から、時に励まし、時に鼓舞してくれた言葉の数々に、私は大いに勇気づけられて選挙を闘うことが出来ました。感謝の思いでいっぱいです。

届かなかったことは悔しい。国政からやるべき仕事を思う時、正直、無念の思いです。しかし、私自身、2期5年間「沖縄のために」「この国のために」と、ひたすら結果をつくり、成果を地元に持ち帰ることを求めて政治に邁進したこと、今回の選挙で「世代交代」の旗を掲げ、多くの皆様と挑戦し、全力でこの時代を闘い抜いたことは、今でも間違っていなかったと確信しています。

生きているからには立ち止まれない。沖縄の将来のために、この国の未来のために、何よりも子供たちに引き継ぐ豊かな沖縄と日本を作り上げるために、私は、顔をあげて、前を向いて歩いていきます。

最後に、応援して下さったすべての皆様に心から御礼申し上げます。「本当にありがとうございました。」

宮崎政久

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