乾いた笑いしか出てこない

最近ネットサーフィン中に偶然ではありますが、少し前の琉球新報社説が目に留まりました。その内容が(ブログ主からみて)失笑そのものでしたので、早速突っ込み記事を作成しました。

ブログ主はこの社説を読んで「おそらく執筆者は社史すらごぞんじない」と思いましたが、ためしに該当の社説全文を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

〈社説〉沖国大入試の琉球史 沖縄学ぶ機会増やしたい

沖縄国際大が2020年度の一般入試で、経済学部の独立した選択科目として初めて「琉球・沖縄史」を導入する。先史時代、琉球王国時代、薩摩侵攻、沖縄戦、日本復帰後の状況を含め幅広く出題することを想定しているという。

教育界にとどまらず、沖縄全体にとって画期的だ。これまでは大学の専門科目などを受講しない限り、小中高校を含めて琉球・沖縄史を学ぶ機会は少なかった。これを機に、他の大学による同様の取り組みや、中学・高校の入試、教員採用試験、公務員・民間企業の採用試験にも出題が増えることを期待したい。

現代の沖縄に至る琉球・沖縄史を学ぶ機会が、児童・生徒・学生らの間で広がることは重要な意味がある。自身が生まれ育ったり住んだりしている沖縄の歴史を深く知れば、「自分は何者か」を学び、自己認識を深めることができるからだ。

沖縄で現在起きている不条理の本質を理解することにも資する。ドイツのワイツゼッカー元大統領は演説で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」と述べた。

沖縄は琉球王国時代、長期にわたって独立国として本土の歴史に包摂されない独自の歩みを刻んだ。1609年に薩摩に侵攻されたが1879年の琉球併合(「琉球処分」)まで独立性を維持する。併合後は内国植民地のような地位に置かれ、1945年の沖縄戦では本土決戦の時間稼ぎのため「捨て石」にされた。

戦後も27年間、米国統治下に置かれる。52年発効のサンフランシスコ平和条約では本土の独立を引き替えに沖縄が米国へ差し出された形だった。72年の日本復帰後も米軍専用施設の過度な集中が続いている。

これらの沖縄の歩みに通底しているのは、抑圧と差別の歴史だ。琉球・沖縄史を学ぶ意義は知識を身に付けるだけにとどまらない。沖縄の現状を深く理解することにもつながる。沖縄の現在と重なる痕跡を発見できるからだ。

歴史はよく、その時代の勝者の記録といわれる。「琉球処分」という言い方が政府からの目線であるように、琉球・沖縄の人々は少数者・弱者として支配する対象あるいは「他者」として描かれてきた。それがこれまで沖縄の歴史を学ぶ機会を奪ってきた要因の一つかもしれない。

琉球・沖縄史を学ぶ際は、史実に基づきながら沖縄の人々の立場に立って当時を想像することだ。そうすると、これまでのイメージと異なる沖縄像が浮かぶに違いない。

このような機会は、しかくとぅばとともに、沖縄のアイデンティティーや自己決定権の確立に重要な要素となる。日本復帰後、県の基本構想などで長らく「沖縄の自立」が目指されてきたが、歴史を知らずに真の自立はあり得ない。沖縄の人々が自らの歴史を知り、共有することは分断を乗り越える礎にもなる。

令和元(2019)年7月9日付琉球新報 Web News より抜粋

まぁいろいろ突っ込みどころはありますが、執筆者は間違いなく琉球・沖縄史=沖縄本島の歴史と誤解している節があります。一例を挙げると「併合後は内国植民地のような地位に置かれ」との記載がありますが、大正9(1920)年に我が沖縄は特別の自治制度(島嶼町村制)が改正され、日本本土と同一の地方自治制度が適用されます。

この事実だけをみても「内国植民地」という記述が不適切である上に、この時に歴史上初めて沖縄本島と離島(宮古、八重山など)に同一の法体系が試行され、その結果本島人と離島の住民たちが同一の政治権利を有します。つまり琉球の歴史において最も差別されていた離島住民が “解放” された訳ですが、上記社説の執筆者はこの事実ご存知なかったのかもしれません。その最大の理由は間違いなく琉球・沖縄史イコール本島の歴史、ハッキリ言えば権力者の歴史と思い込んでいるからです。

ちなみに琉球新報社に目を転じてみると、現代の第二次琉球新報社は昭和26(1951)年9月のサンフランシスコ講和条約締結を記念して “復元改題” してます。その事実を周知させたくないがために “創業ひゃくうんじゅうねん” などと喧伝しているのは明白で、自社の歴史すらまともにガン見できない分際で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」などと主張できる面の厚さには感服せざるを得ません。

もうひとつ、アメリカ世時代に琉球新報社の復活に尽力した又吉康和さんは米国軍政府および民政府の忠実な協力者として社史からも腫れ物扱いで、又吉さんの死後に社長に就任した親泊政博さんは沖縄新報の業務局長を務めたいわば戦争協力者のためほとんど語られていません。この二人がいなければ現在の琉球新報は存在しませんが、果たして現在の新報社の社員たちは彼らの業績をどの程度把握しているのか、前述の社説を参照する限りでは極めて怪しいと言わざるを得ません。

「琉球・沖縄史を学ぶ際は、史実に基づきながら沖縄の人々の立場に立って当時を想像することだ。」との記載がありますが、残念なことに自社の歴史すらまともに把握できない輩が上から目線で社説を掲載するのが現代の記者のレベルなのです。ブログ主はグレタ・トゥーンベリさんに成り代わってふたたび

How dare you !(よくもそんなこといえるわね)

と声を大にして言いたい気分になりました(終わり)。

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