人民中国への道 – むすび

日本の降伏後、アメリカは蒋介石の内戦を支援するため20億ドル以上の贈与ないしはクレジットを提供し、多量の軍用・一般用の余剰資産を名ばかりの値段で売り、さらに最高時11万を超えた在華米軍の軍事物資を、引き揚げのさい「放棄」してきた。にもかかわらず「中国における内戦の忌わしい結果は、アメリカ政府の統制の範囲を超えていた」(アメリカ国防省『中国白書』)

蒋介石はなぜ失敗したのか、それは「人民に飯を食わせる問題を解決すること」に失敗したからである。その点では中国のいかなる政府も成功することはありえないし、「原料と工業資源に欠けている」中国が近い将来、第一流の強国となることは困難だ、というのがアメリカ国務省の公式見解であった。いずれにせよ中国革命は挫折するが、その過程を促進するために、講ずべきいかなる手段があるか。

中国市場独占の夢見果てぬアメリカ帝国主義は、上海・南京喪失後、未実施の軍事援助1億2500万ドル分を、蒋介石の要請に応じて台湾に送り、大陸反攻を呼号させた。50年6月、朝鮮戦争勃発と同時に台湾海峡の第七艦隊を送り、中国の対外貿易を封鎖し、かつ鴨緑江まで攻め上って中国人民義勇軍の介入を余儀なくさせた。軍事費の重圧によって新中国の国家財政を破綻させ、蒋介石政権の二の舞を演じさせようというのであった。

しかし、すでにみずからを組織化した中国人民と中国共産党は、「革命プラス生産」によって、新中国を双葉のうちに摘みとろうとしたアメリカの策謀を斥けた。朝鮮戦争の重圧にもかかわらず、抗日戦争前の半分に低下した工鉱業生産・農業生産を52年までに回復させ、53年からは意欲的な第一次五ヵ年計画に突入した。もちろん「人民に飯を食わせる問題」は基本的に解決されていた。

奇蹟をもたらした「革命プラス生産」の実態はなにか。山西省潞城県張荘村の土地革命に直接参加したアメリカ人W・ヒントンは『翻身(ファンシェン)ある中国農村の革命の記録』のなかで、土地革命前の農村の荒廃について次のように指摘している。

全県的に取りくんで水利灌漑をやれば生産は倍増するのに役人はなんの関心ももたず、品種の改良や農具の改善で収穫がのびても税金や小作料が増えるだけなので農民は誰も意欲を燃やさない。地主の手に集まる余剰収益は金銀に姿を変えて死蔵されるばかりで生産には再投資されず、せっかく近くにある鉄鉱や石炭も開発されない。

「少なくとも全人口の半数は一年のうち五ヵ月は何もしないで坐っていた。……何千もの人びとが、冬の間じゅう、不自由な生活を耐えしのび、何もせず、つぎの春まで食物をもたせるために、できるだけわずかしか食べないでいた」。だが「収穫の時期になると、地主も中農も小作人も、すべての家族が夜に日をついで見張りをたてねばならない。……数週間のあいだというもの、全村のほぼ半分の人口が畑で夜をあかし、各戸ごとに他の家族を見張るのであった。金のあるもの、ないものともどもにこの見張りに無駄な精力をついやす。社会という観点からすれば全くの無駄であるが、収穫する個々の人にとってみれば、これは生きるか死ぬかの瀬戸際を意味していた。見張りをおかない土地は、半餓死状態の家族によって根こそぎ盗まれるのがほぼ確実であった。盗むことで、この家族は自分の収穫があるまでの数日間は生きのびられるのである」。

「利用されない資源、無駄に放置される労働力、低下する生産これこそが長い間には被害者にも受益者にもともに災害をもたらす体制の産物なのであった」

ヒントンが山西で見たこの状況は基本的に全中国の状況であった。だが中国革命はこの体制を根底から打倒し、農民の労働意欲をかきたて、「看青(カンチン)」=畑の見張りのような無意味な労働を解消した代りに、五ヶ月の張りつめた勤労を新たに生み出し、資源と資金を有効に使い、かつ水利工事のような大規模な協業を組織する幹部をあたえたのである。全国の土地革命は52年までに完成したが、それと併行して50年から52年にかけて2000万の人びとが水利工事に参加し、パナマ運河10本分の土を掘りあげたという。老解放区ではすでに実施されていた婚姻法も、50年には全国的に施行されて、婦人のエネルギーを解放した。なによりも革命をへて人間が変った。汚辱と飢餓、泥棒と淫売、アヘンと賭博が一掃され、社会の様相は一変した。

それは人民革命(新民主主義革命)の勝利がもたらした偉大な変革であったが、「中国と世界の改造」、「大同社会」(共産主義)の実現に向う、気の遠くなるような新たな「長征」からすれば、ほんの第一歩にすぎないと、中国革命の当事者たちは自覚していた。かれらは人びとを指導してさらに農業の協同化、資本主義商工業の公私合営化へと進み、社会主義の先進だったソ連の変質を反面の教材として独自の社会主義建設の路線を設定し、さらに前進を続ける。

それは、人類の未来にかかわる壮大な実験である。歴史の新しい段階に進んで、さまざまな試行錯誤は避けられなかったし、これからも繰りかえされるであろうが、そのすべての過程を通じて八億人民の主体的な力量は、確実に成長していくにちがいない。(講談社現代新書 – 1977年5月30日第一刷発行)

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