修行が足りない

昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔事件” に関して、当時の新聞をチェックすると極めて香ばしいコメントが見つかりました。事件概要について今回は詳細な説明を割愛しますが、この事件に関して当時の沖縄県民は総じて “暴力で訴えるのはよくない” と批判的に受け止めています。

「えっ?コザ暴動は……」と突っ込みたい気分は置いといて、当時の記事をチェックするとごく一部ではありますが、事件を好意的に受け止めている階層もいることが伺えます。また皇太子殿下のご来沖に反対するあまりに、思いっきり香ばしい言動を振りかざす輩もいて現代とのレベルの違いに驚きを隠せません。今回はその中からえりすぐりの記事を紹介しますので、読者のみなさん是非ご参照ください。

はじめに、ひめゆりの塔事件に対して好意的に受け止めている大学教授のコメントです。

市民の声 天皇は県民にわびるべきだ

中今信琉球大学教授 若い人たちがああいう行動に出た気持ちはよくわかる。沖縄には悲惨な戦争体験をしており、また、30年にわたるアメリカ統治の下に置かれ、言うに言えない苦難に遭っており本土のどの県とも違う。天皇の名において戦争は遂行されたのだから、天皇は戦争責任者として、沖縄県民に一言わびるべきだ。だがこれまで一言のわびも入れずに、海洋博だからと言ってやってくる。これは県民として許せることではない。皇室をいまごろ敬愛するのが間違っている。天皇制を認める民主主義なんてのはあり得ない。こんどのことが全国の天皇制批判の起爆剤になればいい。若い人が死を覚悟であえてやったことだからあっぱれと思う。(昭和50年7月18日付琉球新報2面)

ここまで率直に事件を肯定しているコメントは例外中の大例外で、極少数ではありますが、当時の沖縄県民にも事件を肯定していた人達がいたことの傍証です。ただしひめゆりの塔事件はもちろん全国の天皇制批判の起爆剤にはなりませんでしたし、なによりも実行犯の知念功さんは気の毒にも速効で仲間から見捨てられたのです。そして中今信琉球大学教授が知念さんに救いの手を差し伸べたかは不明です。

つぎにひめゆりの塔事件には言及していませんが、同年7月21日付沖縄タイムス4面に掲載された反皇室の立場からの香ばしい論説を紹介します。

沖縄には沖縄の主張がある

大ニッポン国が国家的名誉をかけた海洋博に皇太子を出席させた。その是非をめぐって左右の議論も活発だった。国家的行為にはその国の元首が出席するのは当然という論理から、皇太子サマをお迎えして何がわるい、と明治生まれの臣民たちが、来沖反対に悲憤慷慨しているが、私にいわせれば、これはまともな歴史観の欠如した動物的忠誠心の持ち主のタワ言である。天皇や皇太子の人柄と彼らのもつ機能を混同してはいけない。天皇自らその機能を行使した時代もあったし、とりまき達が利用したこともある。しかし天皇が歴史的必要悪として存在する時代はもう去ったのである。国民を統合する機能が皇室にあるか、疑問だ。皇太子警護(不遇の沖縄人民からの)ヘリも頭上は飛ばないという。不敬だから、ということだ。そんな大時代的センスを大部分の日本人がもっている限り天皇制は民主日本を毒する醜悪なダニである。英王室と同一視してはいけない。

来沖反対が本土人の差別強化につながるからそんな非国民的な自殺行為はやめよう、というオリコウな県民がいる。戦前の卑屈さ、惨めさ、を再現してくれているようだ。国家の施策を恩恵としか理解できない乞食根性の持ち主、皇室崇拝が日本国民へのパスポートと考えている没主体性、非歴史的、中央思考的人間がまたぞろ増えてきている。非国民という言葉も復活しつつある。しかも県民の中から!これは戦慄すべきことである。暴力的手段に訴えない限り、国民は自らの信条に従って行動する権利がある。まして、現在または将来の個人の良心的生存をオドすような行為(特に国家権力を背景にした)に対してはわれわれは声を大にする義務がある。沖縄には沖縄の主張があっていい。非国民のレッテルをはりつけられてもいいではないか。天皇制というヤクザな、理不尽な鎖を断ち切ったとき、われわれは真に人間的に解放されるのである。(石垣市・江川義久・教員)

個人的にはこの投稿の下に配置された挿絵がじわじわきますが(なんとなく当時の沖縄タイムス編集局の北朝鮮感が伺える件)、思想信条はともかく、教師とは思えない品のない言動にはビックリします。ちなみに江川さんは令和の今日も現役で活動されているようですが、今も当時と同じようなノリで活動されているのでしょうか。そのあたりがしに気になります。

以上が昭和の時代の香ばしい輩たちの発言集ですが、これが令和の時代になるとぐっとレベルが下がってしまいます(ただし屋良朝助さん除く)。その一例として多嘉山侑三さんのツイートを紹介します。

上記の呟きの外、多嘉山さんの発言は江川さんの論説に比べるとパンチが全然聞いていませんし、何よりもこのツイートに対して(返レスの)アクセス制限がかかっているのが残念極まりないです。彼には琉球独立芸人系 YouTuber として昭和の大先輩のレベルを目標に、一日もはやく屋良朝助さんのレベルを超えるべく精進すべきと確信するブログ主であります。(終わり)

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