学生運動とオキナワンロック

今月19日付沖縄タイムス23面に、「沖縄自立求め 一冊に / 元「沖青同」メンバー資料集発行」と題して、沖縄青年同盟の元メンバーたちが資料集を発刊した記事が掲載されていました。

ちなみに記事の中で、「一方、『辺野古の新基地建設では県民投票や知事選で何度民意を示しても、政府は聞く耳を持たない。先島の自衛隊強化など、沖縄の状況は悪化している』と危機感を強める(下略)」とあり、辺野古新基地活動家や、「沖縄のことは沖縄で決める」と主張する人たちに資料集を買ってほしいんだなと、ちょっとした本音も見え隠れした点に興味を覚えつつ、今回は60~70年代の一部若者たちを魅了した「学生運動」について言及します。

かつて小室直樹博士が急性アノミーの一例として学生運動を挙げてました。たしかにその通りなんですが、今回は意外にも(手持ちの)オキナワンロックの史料と照らし合わせることで、60~70年代のロックと学生運動の共通点に気が付かされました。試しにまとめてみると、

1.ヒッピー文化の影響を強く受けている。

2.しょっちゅう仲間割れしている。

3.中高年になると、自らが生きた時代を “美化” してしまう。

になりましょうか。プラス沖縄の場合は、復帰から現代にいたるまで沖縄県民として生きることに対し、何ら葛藤を覚えていない点です。その最大の理由は彼らが「国民健康保険制度」の恩恵を最も享受したからですが、オキナワンロックの面々はともかく、アメリカ世時代にあれほど「施政権返還」に反対した学生運動のメンバーたちが「琉球住民」から「沖縄県民」になることをすんなり受け入れた点は、現代人から見ると理解しがたいのではと思われます。

大雑把に説明すると、沖縄青年同盟など学生運動に従事した世代は、復帰前は琉球住民として「核付き基地ありの復帰には断固反対」し続けたことと、復帰後は沖縄県民として日本国民の三大義務を全うすることに対して、現代にいたるまで何ら矛盾を感じていないわけです(『こんなところに住んでられるか』と沖縄を見捨てた人は寡聞にして存じませぬ)。そしてこの辺りの行動パターンはアメリカに反発しながら、アメリカ相手にドルを稼ぎまくった復帰前後のバンドマンたちの行動と奇妙なまでに一致します。いわば

二重思考の極み

なんですが、実はこの点がオキナワンロックと学生運動の最大の共通点なのです。

我が沖縄の歴史の一大特徴として、大東亜戦争末期など一部を例外として、「思想信条に殉ずる」という発想はどこにもありません。必ずどこかで「日和る」のが伝統芸能であり、事実「聖域」を確保できない狭い地理で生き抜くためには、ハッキリいってそれしか方法はありません。それ故に過去に学生運動に従事した世代が、沖縄県民として(日本国が提供する)セーフティーネットに依存して余生を過ごすのはいかにも “沖縄らしい” と言えます。

ただし、そういう点には一切触れずに

若い時の俺たちってすごかったんだぜ !

との(現代人から見ると無用な)自慢話を資料集として出版する愚かさにちょっとイラっとしつつ、この手の元琉球住民は辺野古新基地反対運動と一緒に “絶滅” してほしいと思いながら記事をまとめたブログ主であります(終わり)

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