平成22年興南高校野球部の隠れた偉業

今年は全国高等学校野球選手権の第100会大会が開催されます。高校野球100年にちなんで沖縄タイムス紙上でも『球児たちの1世紀』の企画コラムが絶賛掲載されていますが、6月7日付第32回目に平成22年(2010年)の興南高校の軌跡についての記事がありました。このチームの偉業については語りつくされている感がありますが、実はひとつだけ(おそらく誰も)気がついていない点があります。実はこのチームは沖縄の高校野球の歴史上はじめて和歌山県勢に勝利したチームなのです。

沖縄の高校野球の歴史を俯瞰すると、なぜかこのチームには勝てないという天敵のような存在があります。たとえば沖縄尚学は神村学園(鹿児島)を苦手にしています。ちなみに大阪や神奈川のチームにはそれなりに勝利している我が沖縄の高校野球にとって絶対的に相性が悪いチームが智弁和歌山(和歌山)で、その対戦結果は下図を参照ください。

参考までに昭和52年(1977年)の箕島vs豊見城の結果も含めましたが、対和歌山県勢の通算成績は1勝5敗、智弁和歌山には1勝4敗というあまりの相性の悪さ、まさに沖縄の高校野球にとって天敵です。沖縄球児たちが智弁和歌山に負けるパターンは大雑把にいって“体力負け”で、具体的には相手のプレッシャーに押しつぶされてしまうのです。ボクシングでいえば2~3階級上の相手と戦って無理やりねじ伏せられるイメージです。

そんな相手に平成22年(2010年)の興南チームは、春のセンバツ2回戦で完勝します。この試合はテレビ観戦しましたが、島袋投手が相手の四番打者から5三振を奪い、8回裏には真榮平君がとどめのホームランをバックスクリーンに叩き込む完璧な内容でした。智弁和歌山を力で抑え込んだ対和歌山県勢初勝利なのです。ブログ主はこの勝利がチームを劇的にレベルアップさせ、そして春夏連覇につながったと今でも確信しています。

沖縄の高校野球は最近弱くなったとの風評がありますが、ブログ主にはそうは思えません。ただし前年の興南vs智弁和歌山の試合を見て痛感したのが、体力の差が本土球児にくらべて開き始めたことです。たしかにこのままでは県外の公式戦での勝利も厳しい状態になると予想されますので、体力面のレベルアップが必要不可欠です。具体的には智弁和歌山に勝てるチームを育成してほしい、この尊敬すべき天敵に勝利するチームが今後誕生することを願いつつ、今回の記事を終えます。


【参考】バーチャル高校野球 第82回センバツ高校野球2回戦(2010年3月29日阪神甲子園球場)興南 7-2 智弁和歌山

【参考】平成30年6月7日 – 沖縄タイムス 球児達の1世紀~興南投攻守に完成

「沖縄県民みんなで勝ち取った優勝です」。興南の主将、我如古盛次(25)の一言に沖縄中が沸いた。2010年8月21日、第92回全国高校野球選手権決勝。東海大相模(神奈川)を13-1で破った興南は、史上6校目の春夏連覇を果たした。県勢悲願の深紅の優勝旗が、ついに海を渡った。

始まりは07年の春だった。1968年の「興南旋風」当時、主将を務めた我喜屋優(67)が母校の監督に就任。最初に取り組んだのは、生活態度の意識改革だった。寮は汚れ、ごみが落ちても拾わない選手を叱咤(しった)し、あいさつや整理整頓、早朝の散歩で五感を働かせることを意識させた。その夏、興南は浦添商業との決勝再試合を制して24年ぶりの甲子園出場を決め、古豪復活ののろしを上げた。

2年後の09年、興南は春夏連続で甲子園に出場したが、初戦敗退を喫する。春は主戦の島袋洋奨が19奪三振と好投しながら富山商に0-2で完封負け。明豊(大分)と対戦した夏も1点リードの8回に追い付かれ、3-4でサヨナラ負けした。ともに5安打以下に抑えられ「打てない興南」とまで言われた。

主将の我如古は「レベルの差を感じた。洋奨という好投手がいるのに、打撃が良くならないと太刀打ちできない」。1千本のスイングを課し、鉄パイプやホースでも振り込んだ。球種やコースの的を絞らない「反応バッティング」でさらに磨きがかかった。

打撃練習では球速や球種、コースを問わず来た球に対応する。私生活で身に付けた観察眼を、バッティングにも生かした。「練習はきついけど、そこからもう一つやれば、相手との差もまた一つ広がる」と我如古。全国強豪校の監督やプロのスカウトからも「このチームは強い」と言われるまでに成長した。

島袋の投手力に加え、ひと冬で打撃力も備わった興南。センバツは決勝を含む全5試合で2桁安打を記録。強打の智弁和歌山や日大三(東京)にも打ち勝った。島袋は5試合全て先発し4完投。46回を投げて49奪三振、防御率1.17を誇った。

夏は準々決勝の聖光学院(福島)戦、準決勝の報徳学園(兵庫)戦ともに逆転勝ち。チーム打率は4割に迫り、83安打のうち初球打ち24本と、ファーストストライクは逃がさなかった。島袋の防御率は1.94で、51回を投げて53奪三振。全6試合で失策は4にとどまり、投攻守に完成された興南野球は沖縄の高校野球史に新たな歴史を刻んだ。

優勝インタビューで発した言葉について我如古は「何も考えずぱっと出てきた。奇跡的に、いいせりふが出ましたね」と笑う。球場にはウェーブが起こり、ナインが凱旋(がいせん)した那覇空港には4500人、同校の優勝報告会には3千人が集まる熱狂ぶりだった。

それでも我如古は「連覇の重さを理解したのは後になってから。すごいことをしたと感じたのは本当に最近から」とすぐに実感は湧かなかったと話す。「1年生の頃から夢見て目標にしてきたことを、最高の形で終わらせることができた」。高校球児の聖地で集大成を成し遂げたことが、なによりもうれしかった。=敬称略(我喜屋あかね)

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