広告とヌード写真

ここ数日キャンプ・シュワブ関連で昭和30年前後の新聞をチェックしているのですが、やはり時代というかなんというか映画等の広告が現代基準ではありえないほど“エグい”描写になっています。具体的にいえば“よい子が見てはいけない広告”が目立つのですが、この件に関して昭和31年(1956年)12月25日の琉球新報にコラムとして掲載されていました。読者のみなさん、是非ご参照ください。

= 話の卵 =

きのうの本紙“いこい”欄に映画館の広告スライドにヌード写真を使っていることで、「もっと広告主も広告業者も考えてほしい」という意味の投書があったが、あのスライドについて同じ意見の人がほかにも二、三名おり、どうにかならないものかしらと首をかしげている婦人がいた。

榮学監の広告スライドにヌード写真を使うことは広告の効果を考える業者のアイデアによることだろうから、そのこと自体はやはり読者の判断にまかすよりほかないが、どうせヌード写真を使うならほんとうに芸術性の高いものを使ってほしい。とはある美術家の意見である。スライドのヌード写真は筆者もみたがなるほど“美的”というよりも色彩からいってもヌードモデルの肢体から受ける感じも“美”よりも“醜”に近く、胸の線などはどうひいき目にみても美とは縁遠い“醜悪”としか思えなかった。

最近は何でも女の裸絵(はだかえ)をみせればとびつくという傾向が特に広告面で多くヌード写真や裸婦像とはおよそ縁遠い広告タネにもヌード写真を使っているのがある。映画館のヌードのスライドも必ずしもヌードでなくてもよさそうなものであった。芸術家の目が風景や静者をさしおいて裸婦の美に心酔するというのは、それだけ人体の神秘性があるからだろう。画家にいわせると人体構造の微妙さに心魅かれ、裸体画を描くときはモデルの女性を一個の物体として感情をまじえずに描くから芸術性が高められていく。そうである。

ところが俗物はそうはみない。最近、問題を投げた週間朝日の十二月九日号の表紙絵「裸婦像」は賛否両論でかまびすしい議論が闘わされたがこうした画家の裸婦像もこのごろはリアリズムで描く傾向があり、そのためにいろいろの影響について論議されているようだった。週間朝日の表紙絵の裸婦像とは異なった意味で広告に使われるヌード写真が裸婦の絵を見るべきであろう。

たとえばストリップショーのヌード写真やヌード絵にどれだけの芸術性があり、どれだけの絵画的もしくは芸術的な価値があるかわからないが少くともそうしたものをみる青少年の目にはワイセツに近い印象をもってみられていることは、そのポスター写真や絵にワイセツと思えるいたずらをされたり彼らのヒソヒソ話を聞いてみればおよそ想像はつくものである。

一概にヌード写真が裸婦像の広告が悪いとはいわない。しかし広告として多くの人の目に訴える以上は、ある程度の芸術性が要求されるのは当然だと思う。子供から質問されて返事に困るようなヌード写真や裸婦像や、ワイセツ的な連想をさせるものは業者の良心に訴えてなくしたいものである。(蚊)

では12月25日以前に、どのような広告が掲載されていたのか、ためしにいくつか紹介します。

・昭和31年12月20日 – 琉球新報(2)の広告欄です。「怒れ!力道山」も気になるのですが、なんていっても全琉の話題をさらった、老若男女楽しめる「国際ヌード祭 – 白人酋長」が気になってしょうがありません。

・昭和31年12月21日 – 琉球新報(2)からの抜粋です。「女体のクリスマス」というフレーズが秀逸です。

・昭和31年12月22日 – 沖縄タイムスからの抜粋です。「赤い門」「ドイツ医学が捉えた…」「気の弱い方・未成年者の入場お断り」のキャッチフレーズに思わず吹いてしまいます。

・そして一番笑ったのがこれ。昭和31年12月22日 – 琉球新報からの抜粋です。広告内容は沖縄タイムスのそれと同じですが、何故真上に那覇市長選挙の推薦状(仲井真宗一候補)があるのか?このカオスっぷりがなんともいえません。もしかして仲井真さん、これが原因で昭和31年の那覇市長選挙に落選したのかも。

いかがでしょうか。たしかにコラムに記載しているとおり芸術性皆無の広告ですが、「では最初から掲載するな」と大声で突っ込まざるを得ないのは気のせいでしょうか。そして「開南琉映」や「桜坂琉映」の日活ロマンポルノの新聞広告を食い入るように見ていた青春時代を思い出した読者もいるかもしれません。現代では一般紙にありえない広告が掲載されていたんだなと思いつつ、今回の記事を終えます。

【参考】 ネットからの拾い画像ですが、昭和初期の泡盛ポスターです。ちなみに漢那憲和さんがこのポスターを見て「いかがわしい」と激怒した有名なエピソードがあります。

 

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