恐怖の白い粉(3)手から手へ

張り込み捜査員の目前で取引 二年前のことだった。日がサンサンと照り輝くある夏の午後のコザ市センター通り。「麻薬取り引きが行われる」との情報をキャッチした捜査陣は、取引予定場所を包囲する形でかれこれ一時間、息を殺して張り込みを続けていた。ある者は向かいの店内から、ある者は観光客を装って三人連れで刻一刻、その時を待った。

取引の約束の午後三時十分を時計がしるした瞬間、センター通りを外人ナンバーの乗用車がスピードを落としながら、やってきた。その時、通りをへだてた向こう側から白人が二人、ゆっくりとその車に近づいた。一人は何か包んだ袋を窓から投げ入れ、一言も話さず去った。他の一人は何事か車中の人と話何かを受け取りポケットに突っ込み立ち去った白人とは別の方向へ歩き出そうとした。

この時周囲に張り込んでいた捜査陣がいっせいに躍り出た。観光客を装った三人はす早く車にかけ寄った。車内にいる白人二人を取り押えた。つかまったのは合計三人。「麻薬密売の現行犯で逮捕する」と言った時、三人とも「オー・ノー」と手ぶりで叫んだ。しかし、ポケットの中からヘロイン 0.6 ㌘が発見、押収された。捜査員はそれぞれ別の車で連行した麻薬と人間をセットで捕えろ!これは捜査の一大鉄則である。

巧妙化する取引 / 取引場所モテルも利用される

すぐ手渡さない慎重なバイヤー しかし、この鉄則は近頃では通用しなくなった。捜査が強化されるにつれ、取引の際麻薬と人間を切り離すようになってきた。「これも成り行き上、当然の生活の知恵というものでしょうね」とある捜査員はいう。ある意味で、取引は、麻薬犯罪の劇的なクライマックスといえる。

取引は必然的に身元のはっきりした者でなければならない。あるいは、かつて取引をしたことのある知り合いの紹介がなければ白い粉はうかうかわたせない。

VFWクラブ支配人、ティモシー・ジー・ケパートのもとにひそひそとひと知れず「ヘロインを売ってくれ、ミスターケパート」と話しが持ち込まれた。「そんなものないよ」とにべもなくことわる。男は日誌になって「彼に言われて来たんだ。電話で確かめてもいい。ほら彼と一緒に移した写真もある」中毒患者となった男は自分は決して怪しいものではない、と説明するのに懸命だ。やっと売買の話がついたが、すぐには手渡さない。「いくら欲しい」と量を確かめ、あすどこそこで何時に会おうと別れる。そして再び会った時、金だけを受け取り麻薬のかくし場所を初めて明かすという慎重さだ。どこの何番と書かれた電柱の下に置いてあると教えるだけで売買は終わる。たとえ買った方がつかまっても証拠品を持たないケパートらは安全というわけだ。

厳しい捜査で取引場所かわる さらに売り手と中毒患者の信頼性が高まると中部一帯のモテルにアジトを移していった。あらかじめ利用するモテルを決める。例えば、コザ市内の「モテル」は「Aちゃん」と呼び、宜野湾市内にあるのを「Bちゃん」といったぐあいにすべてモテルに呼び名をつけた。そしてケパートの下にいくと、さりげない「Aちゃんは元気かな。近ごろ見えないがカゼでベッドに寝てるんじゃないか」と場所を指定する。この意味はコザ市内の「モテルのベッドの下にヘロインを置いてある」という意味。また「冷たいビールはうまいよ」というと「冷蔵庫にしまってある」というふうに。モテルの密室性を突いた巧妙な手口に捜査員もあ然としたものだった。

沖縄マフィアのジャック・ブラウンらもこの手を使った。買い手が来るとまず信用がおけるかどうか確かめ「よし大丈夫だ」ということになって「どこのアパートの屋上の空きカンにある」とか「どこのバス亭の二十㍍離れた草むらのコーラの空きビンの中」「どこのブロックベイに突っ込んである」といったぐあいだ。これらは麻薬と人間をセットで捕えろという捜査当局の鉄則を全く切り崩す結果になった。取り締まりが強化されるにつれて取引の巧妙さも進んで行く。(昭和48年09月21日付琉球新報夕刊03面)

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