憎しみに果てるな

今回も、昭和46(1971)年11月10日の “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” に関する史料を紹介します。この事件は当時のあらゆる社会階層に大きな衝撃を与えましたが、その好例として同年11月12日付琉球新報の社説を紹介します。

ブログ主はアメリカ世時代の社説を数多く参照してきましたが、これほどびっくりした社説は見たことありません。これまで当ブログを運営する際にあたっては史料の “写本” を精力的に行ってきたブログ主も、当該社説には困惑を隠せません。おそらく当時の担当者も混乱極まりない状態で執筆したからでしょうか。

なにより “こんなにひらがなが多い社説” ははじめて見たことと、中立的な立場で文章を纏めた(つもりの)ため、結果として “極めて上から目線な不愉快な論説” になっているのです。ハッキリいって、この記事に対して、

当日警備に当たった機動隊員や、琉球警察の関係者が激怒しなかったのが不思議

なぐらいで、言い換えると当時の警官の職務に対する “誇り” を伺うことができます。ほかにもいろいろ突っ込みたい部分はありますが、全文を書き写しましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。

社説 / 憎しみに果てるな

おととい1号線でおきたかなしみふかい事件でひとりの中年の警官が死に、きたおおくのひとびとが傷ついた。そしてこのことが、あたらしい沖縄のふかい対立とさけめになろうとしていることにふかいうれいをもたざるをえない。

まず、警察官が死亡したのはあらゆるようすからみて偶然のけっかやあやまちによるものではなく、はじめから計画されたものだったということができるとおもう。つまり、これにひとつの信念にもとづいた戦術だったのであり、このように意図的なおこないがこの沖縄にあらわれたことをおもくみたい。みずからの目的のためには警察官を殺していくことが必要だとかんがえ、それを実行するわかもののあつまりがあらわれたわけである。そしてこれは、たぶんに本土の過激グループの影響をうけているとかんがえられるが、われわれ沖縄の社会をかたちづくるものはこれをみとめることができるだろうか。ぜったいにできない。

このような警察被害によってもたらされるのは、警察力の強化でこそあれけっして警察の弱体化や民主化ではない。警官を殺害していくことが返還協定を粉砕し、阻止する有効なてだてだとかんがえることはできない。暴力には暴力をもってむくいるというかんがえかたはまかりまちがえば戦争をみとめる姿勢につながりかねないし、こんご沖縄でテロ行為をみちびきだすおそれもでてくる。

またこのような殺りくをあえて辞さないほど沖縄の大衆運動はおいこまれいきづまっているかというと、けっしてそうではあるまい。もし10日に、警官殺害や火炎びん攻撃がなかったら沖縄史上空前のゼネストの効果はなかったのであろうか。そうではないはずである。整然としたゼネストはそれだけで威力ある意思表示になりえたはずであり、いまの沖縄の状況にあってはそのような方法以外につよいちからはないであろう。それは、ちょくせつ速効性がないようにみえるが、このような運動が沖縄の歴史をすすめてきたことをみとめないわけにはいくまい。つまり、このような過激なてだては沖縄の大衆運動とはあまりゆかりのない、いわば輸入品のようなものだといったほうがよく、それは沖縄になじまない。

ところが、このような集団の存在を積極的ではないにせよ沖縄の革新陣営のある部分は黙認していた。沖縄県祖国復帰協議会が過激グループの大会などの参加をみとめないようになったのはほんの数カ月まえからである。もっとも、このような態度の背景には人びとの反権力感情が、反警察さらに機動隊にもっともはげしく抵抗するグループへの心情的支持があったともいえよう。警備警察が革新首長のものでおおくの困難をかかえており、技術、訓練で熟さないためにおおくのトラブルを人びとのあいだでひきおこしそれが、つみかさなってきたことも見のがせない。ただ、それが殺害容認へとつながるようになれば民衆と警察の対立は決定的となり沖縄の社会ははてしない無秩序のどろ沼へとおちこんでいくことになろう。

いっぽうこの事件をつうじてもうひとつ注目したいのは警察と行政府首脳の反目がふかまったことである。警官殺害はけっして復帰協のゼネストによる必然的結果ではなく、べつのグループの行動によるものだが、こんどの事件の責任のおおくを沖縄の革新陣営一般へと還元してしまうことによっておこる反目は、正当でないだけに悲劇である。復帰協の過激派にたいするより明確な態度がもとめられるのとおなじように、警察のがわの冷静な態度がこのさいとくにのぞまれる。警官殺害の報をきいたあと、ほとんど無差別に報復的な規則行動にでたと報じられているが、法と秩序をまもるために権力をもたされている警察がこうした感情本位の行動に出たとすれば、それは民衆と離反することになり、結果として暴力対暴力の風潮をみずからつくりだすことになりかねない。したがって、冷静になることはいまはむつかしいかもしれないが、それは権力のもつものの任務のひとつと心得て冷静に対処するようかさねてもとめたい。そうしないとよい結果はえられないだろう。

さて、きわめて不幸な事件だったがわれわれは、それだからといってみずからの意思の表示をやめるようなことがあってはならないだろう。たとえば集会、言論、結社の自由をこの事件を利用しておさえるというようなことになればかえって、沖縄の不満は内在して、さらに大きな不幸な事件にむすびつくことになるだろう。返還協定をめぐる賛否両派の主張と行動は自由におこなわれてよいのであり、それをおさえていくようなうごきはこのさいもっとも警戒しなくてはなるまい。(昭和46年11月12日付琉球新報朝刊4面)

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