暴力団追放沖縄県民会議の設立

平成2(1990)年12月21日、沖縄県において暴力団追放を目的とした団体「暴力団追放沖縄県民会議」が設立されました。その理由は同年9月に勃発した旭琉会の内部抗争によって11月に民間人に死傷者が出たからです。

同年11月の民間人射殺事件は、沖縄ヤクザ業界にとって致命的なダメージになりました。ただしこの案件に関しては今回割愛するとして、今回は「暴力団追放沖縄県民会議」が設立された記事を紹介します。まずは下記記事をご参照ください。

総ぐるみで暴力団追放 – 沖縄県民会議が発足 「解散勧告」を採択

2900団体が参加 – 将来は財団法人化

県民のあらゆる力を合わせ暴力団を壊滅させよう – 二十一日午後三時から那覇市の県庁四階講堂に警察、行政、弁護士会、婦人団体、教育団体など県民各界代表が集まり、「暴力団追放沖縄県民会議」設立大会が開かれた。出席者約四百五十人全員一致で「県民は一体となって、英知と熱意を結集し、社会のあらゆる場から暴力団を排除しなければならない」との宣言文を採択し、県民総ぐるみで暴力団壊滅に取り組むことを確認した(中略)。

引用:平成2年12月22日付琉球新報朝刊1面

現在の(自称)島ぐるみのケンミンタイカイとは違って、2900団体が参加する文字どおり「総ぐるみ」で団体が設立されています。しかも1年後には財団法人化されて恒久的な活動を行う団体となりますが、つまり当時の旭琉会の内部抗争に対して沖縄社会がいかに頭に来ていたかが伺える記事内容となっています。

ちなみに上記記事には続きがありまして、その部分を引用します。

その後、出席者全員で国際通りをパレード。牧志にある三代目旭琉会会長宅前で、県民会議の代表が

大田昌秀知事

の立ち会いで、翁長良宏会長に解散勧告分を手渡した(中略)。

そのときの様子が同日朝刊27面に掲載されていましたので、貼り付けます。

この記事のすごさは、琉球・沖縄の歴史上初めて表のトップ(沖縄県知事)と裏のトップ(三代目旭琉会会長)が同時に写っていることです。ちなみに写真部分を拡大して貼り付けます。

まさに奇跡のショットですが、実はこの写真を見てなぜか

翁長良宏会長よりも県知事さんのほうに危険を感じてしまった

のは単なる気のせいでしょう。気のせいだと思いたいブログ主であります(終り)。

 

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