泡盛業界の模索について思うこと

先日、近くのファミリーマートで Family Mart Collection 泡盛コーヒー[BLACK] という気になる商品が販売されていたので、購入して試飲しました。新里酒造が販売している「珈琲泡盛 コーヒースピリッツ」のファミマ版で度数は12%ぐらい、ワンカップでお値段250円前後と手ごろな価格で、売れ行きも上々のようです。

残念ながら、大のコーヒー好き(しかもフレーバーコーヒーは一切認めない派)のブログ主は一口試飲して「なんとも言えぬ微妙な感じ」を拭うことができませんでした。香料を利用して泡盛とコーヒーの風味を無理やり合体させた感と、後味のなんとも言えぬ微妙な感じは上手く表現できません。

だがしかし、新里酒造のコーヒースピリッツは相当売れているらしく、ハマるひとはめっちゃハマるようで、近年低迷している泡盛業界にとってはひさびさの明るいニュースになっています。ブログ主は泡盛業界の全盛期である平成16年(2004)ごろに県内および離島の酒造所を数十箇所見学に訪れたことがありますが、コーヒースピリッツ等を販売する動きは全くなかった記憶があります。それだけ業界の危機感、需要の掘り起こしに躍起になっていることがこの商品から伝わってきます。

泡盛の売り上げが落ちている理由は至って簡単で、酒に強い20~30代の若者人口が減少しているからです。平成にはいってからの泡盛ブームを支えていたのは昭和45年(1970)前後のベビーブーム世代で、現在では45歳前後になります。当然若いころのように酒を飲むことはできませんし、二日酔いで強引に仕事も体力的に無理です。必然的に40代の酒量は右肩下がりに落ちていきますが、それに代わる20~30代の若者人口の絶対数が足りないのです。

それと泡盛業界の致命的な欠点は“業界再編ができない”ことです。これはかつて酒造所を見学したときに痛感したのですが、市場が狭くなったため会社を合併→規模を大きくして研究開発費を増やす&新市場の開拓という手段が取れないのです。そのため県外および海外で販路を広げるには官民一体の協力が必要不可欠です。

泡盛業界の前途は多難ですが、数日前に泡盛マイスター協会(一般社団法人)がテイスティングチャートを公開したあたり、県外および海外に販路を広げたいという業界の強い意向が感じられます。ブログ主は業界の努力が身を結び、近い将来世界的な銘柄が誕生することを期待してやみません。最後に歴史的な偉人で泡盛好きといえば必ず名前が挙がるのは当間重剛氏(元琉球政府行政主席)ですが、コーヒースピリッツが発売されたと知ったら地下の当間さん激怒するだろうなと思いつつ、今回の記事を終えます。


【参考】一般社団法人泡盛マイスター協会 泡盛テイスティングチャート~初版~

http://ama.ryukyu/news/%E6%B3%A1%E7%9B%9B%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%80%EF%BD%9E%E5%88%9D%E7%89%88%EF%BD%9E%E3%80%80/

古酒の風格 西銘順治(当間重剛回想録 1969年刊行より抜粋)

当間さんが行政主席のとき、経済局長として政府入りしたころの話だが、当間さんから「酒の飲み方を知らん奴」とこっぴどく叱られた。酒のみの私にとって終生忘れられないこんな想い出がある。

当時、ヨーロッパの高級酒を、今のように民間人がたやすく手に入れるのは思いもよらないことで、泡盛をコーラでわって飲む方法がはやっていた。

当間さんが、どこで手に入れたのか、またナポレオンだったか、ジョニウォーカーの黒だったか、酒の銘柄も忘れてしまったが、とにかく「珍しい酒をごちそうしよう」と行政府の酒天童子何名かを主席公舎へ招かれたことがある。

泡盛の古酒もまだ生まれていないころなので、当間さんとしては、良い酒にめぐり会えない私ども若い酒のみに不憫の情を催されたのだろうと思うのだが、ひとりひとりのグラスにご自分で酒をついでまわられたものである。ところが私が、いつものくせで、コーラをわって一息に飲みほしたところ、君のそんな酒の飲み方は邪道とたしなめられた。

「なにでわろうと、人にはそれゞ自分の飲み方があっていゝじゃないですか」と酒の勢いをかりて大いに抗弁を試みたのだが、「酒にはそれゞの持味というのがあって、君の飲み方はコーラで酒の風味を消し、酒の個性を殺すものだ。コーラをまぜるぐらいなら、なんの風味もない安酒にすればいい」というのが当間さんの言い分だった。

酒の上での座興だといってしまえばそれまでのことではあるが、そのとき酒の講釈をしておられた当間さんの表情がきびしかったのを思い出す。酒を愛している当間さんにしてみれば、折角良い酒を親しい者たちに、味わゝせてやろうとなさったのに、いきなり私がその酒の風味をむざゝと殺すようなことをしたので、ひどく気になったからにちがいない。酒を愛する人にとって、その貴重な味が無視されるのは、たしかにいゝ気持ちではないはずだ。この晩たしなめられたおかげで、私もただ、酒を飲むのではなく、酒の味を知ろうとつとめるようになった。

あれから十年以上の歳月が経ち、このごろ当間さんの人柄についてたずねられると、私はきまって「古酒のような風格をもった方だ」と答えることにしている。

それというのも、当間さんに酒のマナーを仕込まれ、どうやら酒の味もわきまえるようになったため、ようやく古酒の風格もわかり、そして「あゝこの風格は当間さんそっくりだ」と感じるせいではなかろうか。つまり古酒のもっている“醇度の高さ”に当間さんの法律家としての“円熟”を感じ、古酒の“同化力の強さ”に政治家としての当間さんの“包容力”を思うのである。

 

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