琉球新報は何事を為したる乎 – その2

●琉球新報は何事を為したる乎(二)

◎一般教育に関する特別の注文は曾て本紙上に縷陳(るちん=縷述)したるもの多し。然れども差当り切に希望するものは日本国民としてのコンモンセンスの中にも最もコンモン(普通)なる感覚の養成也。此(の)感覚は本県は他府県と大に異なる所あり。而して之を一致せしめざれば感情の融和到底望むべからず。感情融和せずして国民たるの実を全ふせしむることは是れ亦(また)到底期すべからざるの事也。本県に於て国民教育の基礎となるべき知識を注入するは先づ他府県と其感覚を一致せしむるにあり。他府県と一致せざる所の感覚とは大略左の如し。

◎第一普通の挨拶 本県は数百年来一孤島の裡に屛息し、交際と云ふても言はゞ家族間の交際の如く余り心易きに任せ日常寒暑の挨拶等誠に粗略也。此風習を移して直に他府県との交際に適用するが故に、言辞往々粗野に流れ人の感情を傷(そこな)ひ若くは之が為めに蔑視せらるゝの場合頗る多し。琉球教育第五十号に羊酋疎髯(ようじゅそぜん?)と云ふ人のものせし奥様とは何ぞやと題する論説を掲載せり。其一節に云ふ、

風俗と言語とを改善すること、特に尤も急務たり、而して言語の改善に至りては、学校教育の在るありて、日に月に其実効を奏せり、然れども猶ほ遺漏なき能はず、蓋し此(の)遺漏たる、まさか教育家にして之ありしとも思はざれど、生徒には往々之あり、今其一例を挙げむに、他人に対して其父を呼ぶに、アナタノチヽガと称し、自分の父を呼びて、ワタクシノチヽサマガと称する者の如き是なり、又他人に食物を饗し、普通にドウカオアガリナサレと曰ふ、而るをアナタクワンカ、ウマイゾと曰ふ者あるに至りて、嘗て教師に事へし時に当り、教師の口調を移し、而して生徒より教師に対す、アナタノチヽ、ワタシのチヽサマなどの如きは、世に毛唐人のかたこと交わりと称する者に類し、アナタクワンカ、ウマイゾなどの如きは、丸ツ切り阿蘭人(おらんだじん)の雇通辞(=通事)に似たり、其他一を推せば以て其余を量するに足るなり。云々

是時弊の頂門に加へたるの一針と云ふべし。然して論者は教育家にして之ありとも思はずと云へども、是れ蓋し同輩に対するの遠慮なるべし。我輩は師範中学卒業以上の者の中にも往々此(の)例を見る。凡そ辞令の巧拙は人の性質境遇にも依ることにして一概に評し難しと雖も、朝のオハヤウ、天気の挨拶、無沙汰の詫言、其他慶事の祝詞、凶事の悔みの如き普通欠くべからざるものあり。是れ即ち社会の礼法にして之を弁(わきま)へざる者は粗野若くは無作法と称す。他府県に於ては此等の作法は家庭に於ても社会に於ても不断遭遇する所の事柄にして、学校に於て重きを置くに及ばずと雖も、本県に於ては此等の事までも一切学校に於てしつけざるべからざるの事情あり。左れば歳末年始の口上より途上の挨拶に至るまで折りに触れ時に随ひ児童の頭脳に注入すること頗る緊要の事なりとす。

◎第二送迎 旅行の時に際する送り迎ひに対しては本県人は誠に無頓着なり。勿論親族間に於ては頗る之を重ずるの習慣ありと雖も、知己〔朋友〕の間に於ては誠に冷淡なり。他府県に於ては本県人の目より見れば殆んど濫用と思ふ程注意するなり。元来本県人は旅行的の人民ならず。昔は百里以上の旅行をなすものは少数の役人が鹿児島及び先島福州等を往来したるに過ぎず。一般人民に於ては哀別離苦抔(あいべつりく・など)の情を発するの機会少かりき。此(の)感覚に於て他府県人と甚しき相違あるは専ら従来の境遇に由るものにして、容易に喚起する能はざるが如しと雖も、十四五年以前に於ける国家思想が教育の力に依り今日の如く発達したるを以て見るときは教育家にして少しく注意すれば則ち双方の感覚を一致せしむること易々たるのみ。

◎第三言語 は感情を融和せしむる所の最大機関なり。然るに本県に於ては児童が普通語を練習するは教師の談話と読本の外に其枝折(しおり)となすべきものなし。他府県なりせば慈愛適(したた)る母の話にも接し、友達同士のアドケナキ話にも接し、折目正しき来客の話にも接し、不知不識(ふちふしき=知らず知らず)の間に各種の言語を練習するの機会あれども、本県に於ては斯る多くの機会なく即ち前に云ふ如く教師の談話と読本が唯一の機会たるのみ。而して最も勢力ある所の教師の談話は士官が兵士に対するが如く如何にもコツゝしたる調子なれば学校あがりの青年が如何なる場合にも一本調子にて色もなく艶もなく恰も朗読演説を聞くの感あらしむるは無理ならぬ次第なり。教育家たるもの此辺に注意して児童をして円満に普通語に熟達せしむるの法を講ずべきなり。

◎第四女子の言語文章 本県に於て最も困難を感ずるものは女子に普通語を習熟せしむる事なるべし。女子の言語は女らしく優美ならざるべからず。女子にしてクワンカ、ウマイゾ抔(など)と言ひ出すに至りては座興も醒むる也。本県の女生徒たりともマサカ斯る殺風景の程度までには至らざれども、斯る気味あるを免かれざるなり。文章に至りては従前の如く●とか●とかにて男女の書簡を区別するが如きは我輩が同意すること能はざる所なれども、さりとて徹頭徹尾男子と同様にするときは女子の特長たる優美の性を損ずるの嫌ひあり。我輩本県出身の女教師のものしたる所の随筆を見るに文字の使い方と云ひ全体の想と云ひ文と云ひ全然男子の手になりたるものゝ如し。想ふに本県の女子は教育と云へば学校以外に於て受くる機会少しもなし。女子教育に従事するもの深く注意せざるべからざる也。

◎第五礼儀作法 上流社会に於ては女子なれば家の出入毎に父兄に対し「行て参ります」「只今帰りました」の挨拶は決して欠かさねども中以下の社会に於ては女子にても無頓着なるもの多し。況んや男子に於てをや。少年子弟の如きは其先生に対しては格別なでども途上にて親戚又は面識の人に逢ひたるとき或は来客に対しても一礼をなさざる者多し。此等の事柄は家庭の教育に属する部分なれども今日の家庭は到底学校の旨意を達すべき家庭ならねば是れ又学校にて注意するを要す。我輩曾て東京に於て幼稚園を参観したり。保姆が第一に教ゆる所は「皆さんお家よりは何とおツしやつてお出になりました」。四五歳の小児等之に答て曰く「行つて参ります」。又帰る時には必ず只今帰りましたとの挨拶を忘るなと懇々教へて帰す。家庭教育が割合に行届きたる東京に於ても猶且つ斯の如し。況や本県に於てをや。

◎第六寒暑の見舞 寒につけ暑につけ知人間相訪問するは社会交際の礼法なり。然るに青年の癖として斯る事に無頓着なるのみならず却て之を以て一種の恥辱となすの傾向あり。我輩は少年子弟にまで之を勉めよと云ふにあらず。教師たるものが宜しく此(の)礼法の意味を解せしむるを望むのみ。

◎第七戯談 他府県に於ては戯談(ぎだん)と云へば毒にもならず薬にもならぬものを意味す。然るに本県にては他府県に於て冷罵嘲弄(れいば・ちょうろう)の部類に属すべきものも矢張座興の資となるべき戯談の範囲に属す。素破抜(すっぱぬき)と冷罵とは実に本県人の得意とする所也。稠人(ちゅうじん=衆人)の中に於て人の急所をつき赤面させ苦笑ひさせること実に妙を得たり。甚しきに至ては衣食を批評し細君の棚卸し抔をして快(こころよし)とするに至る。而して之を聞くのも少しも怪むことなし。蓋し本県人と他府県人との間に此(の)感覚に大なる相違あるは、彼にありては交際の範囲広きと封建時代にありては片言隻語の過より命のやりとりをなすが如き大事を惹起す場合少なからざりし等の事情により自然言語を慎しむの習慣をなし、我に於ては交際の範囲至て狭く他人突合の場合少きより言葉遣ひも自然ぞんざいに流れたるが故なるべし。それは兎も角談話は大に人の品位に関係するものなれば教育家たるもの宜しく是等の弊害を矯正するを勉めざるべからざる也。

◎第八遊芸燕楽 の点に於て県の内外に大に感覚を異にするは顕然たる事実なり。彼我(ひが)の間常に交際の疎通を欠くの観あるも重に此(の)点に原因す。教育家は宜しく嗜好と趣味を一致せしむるを勉めざるべからざる也。

◎第九食事時間 食事時間は彼我大に異なれり。此等は何でもよきが如くなれども一歩県外に踏出すときは本県流の食事時間は迚(とて)も適用すること能はず。殊に今後は兵役に服するものあれば此(の)習慣の為めに多少の苦痛を感ぜざるべからざる也。

◎第十公共心の養成 公共心は国家的事業の根本にして国民的美徳の重なるものなり。然るに本県人は此美徳の欠乏甚し。路上障害物の横たはれるあり。一挙手一投足の労を以て之を除くに足るも之を冷眼に看過するが如きは常の事にして甚しきは我便利の為めに他人の妨害を顧慮せず、或は公共用の物件を無意味に破壊するが如きこと我輩が往々実見する所也。本県に於て公共的事業又は共同事業の発達せざるは公共心欠乏の結果なり。種々の方面より之が発達を謀るは急務中の急務也。

◎第十一自由平等 と云ふ思想は置県後の新輸入にして其理論の如きは実に幼稚なり。然れども自由と云ひ平等と云ふも勝手気儘の振〔合〕をなすの謂にあらず。之を正当に論究するときは自由の中不自由あり平等の中不平等あり、我儘の自由平等は是れ禽獣の自由平等なり。国法を遵守するの精神が厚からざるも個人間に衝突が多きも畢竟自由平等の誤解より来るもの也。以上陳べたる所の十一項は本紙上屡々論述したる所の要領にして教育家一顧の価値あるを信ず。(未完)

●琉球新報は何事を爲したる乎(二) – 原文書き写し

◎一般敎育に關する特別の注文は曾て本紙上に縷陳したるもの多し然れども差當り切に希望するものは日本國民としてのコンモンセンスの中にも最もコンモン(普通)なる感覺の養成也此感覺は本懸は他府縣と大に異なる所あり而して之を一致せしめざれば感情の融和到底望むへからす感情融和せすして國民たるの實を全ふせしむることは是れ亦到底期すへからさるの事也本縣に於て國民敎育の基礎となるへき知識を注入するは先つ他府縣と基感覺を一致せしむるにあり他府縣と一致せざる所の感覺とは大略左の如し

◎第一普通の挨拶 本縣は數百年来一孤島の裡に屛息し交際と云ふても言はゞ家族間の交際の如く餘り心易きに任せ日常寒暑の挨拶等誠に疎略也此風習を移して直に他府縣との交際に適用するか故に言辞往々粗野に流れ人の感情を傷ひ若くは之か爲に蔑視せらるゝの塲合頗る多し琉球敎育第五十號に羊酋疎髯と云ふ人のものせし奥様とは何そやと題する論説を掲載せり其一節に云ふ

風俗と言語とを改善すること特に尤も急務たり而して言語の改善に至りては學校敎育の任るありて日に月に其實効を奏せり然れども猶ほ遺漏なき能はす蓋し此遺漏たるまさか敎育家にして之ありとしも思ひざれとも生徒には往々之あり今其一例を擧けんに他人に對して其父を呼びてアナタノチヽガと稱し自分の父を呼びてワタクシノチヽサマガと稱する者の如き是れなり又他人に食物を饗し普通にドウカオアガリナサレと曰ふ而るをアナタクワンカ、ウマイゾと云ふ者ありに至りて嘗て敎師に事へし時に當り敎師の口調を移し而して生徒より敎師に對すアナタノチヽ、ワタクシノチヽサマなどの如きは世に毛唐人のかたこと交りと稱する者に類しアナタクワンカ、ウマイゾなどの如きは丸ツ切り阿蘭人の雇通辞に似たり其一を推せば以て其餘を量るに足るなり云々

是時弊の頂門に加へたるの一針と云ふへし然して論者は敎育家にして之ありとも思はすと云へとも是れ蓋し同輩に對するの遠慮なるへし我輩は師範中學卒業以上の者の中にも往々此例を見る凡そ辞令の巧拙は人の性質境遇にも依ることにして一概に評し難しと雖も朝のオハヤウ、天氣の挨拶、無沙汰の詫言、其他慶事の祝詞凶事の悔みの如き普通欠くべからざるものあり是れ即ち社會の禮法にして之を辨へざる者は粗野若くは無作法と稱す他府縣に於ては此等の作法は家庭に於ても社會に於ても不断遭遇する所の事柄にして學校に於て重きを置くに及はすと雖も本縣に於ては此等の事までも一切學校に於てしつけざるべからさるの事情あり左れは歳末年始の口上より途上の挨拶に至るまで折に觸れ時に随ひ兒童の頭腦に注入することを頗る緊要の事なりとす

◎第二送迎 旅行の時に際する送り迎ひに對しては本縣人は誠に無頓着なり勿論親族間に於ては頗る之を重ずるの習慣ありと雖も知己明友の間に於ては誠に冷淡なり他府縣に於ては本縣人の目より見れは殆んど濫用と思ふ程注意するなり元來本縣人は旅行的の人民ならす昔は百里以上の旅行をなすものは少數の役人が鹿兒島及び先島福州等を往來したるに過きず一般人民に於ては哀別離苦抔の情を發するの機會少かりき此感覺に於て他府縣人と甚しき相違あるは專ら從來の境遇に由るものにして容易に喚起する能はさるが如しと雖も十四五年以前に於ける國家思想が敎育の力に依り今日の如く發達したるを以て見るときは敎育家にして少しく注意すれは則ち双方の感覺を一致せしむること易々たるのみ

◎第三言語 は感情を融和せしむる所の最大機關なり然るに本縣に於ては兒童の普通語を練習するは敎師の談話と讀本の外に其枝折をなすべきものなし他府縣なりせば慈愛滴る母の話にも接し友達同士のアドケナキ話にも接し折目正しき來客の話にも接し不知不識の間に各種の言語を練習するの機會はあれどども本縣に於ては斯る多くの機會なく即ち前に云ふ如く敎師の談話と讀本が唯一の機會たるのみ而して最も㔟力ある所の敎師の談話は士官が兵士に對するが如く如何にもコツゝしたる調子なれば學校あかりの靑年が如何なる場合にも一本調子にて色もなく艶もなく恰も朗讀演説を聞くの感あらしむるは無理ならぬ次第なり敎育家たるもの此邊に注意して兒童をして圓満に普通語に熟達せしむるの法を講すべきなり。

◎第四女子の言語文章 本縣に於て最も困難を感するものは女子に普通語を習熟せしむる事なるへし女子の言語は女らしく優美ならさるべからす女子にしてクワンカ、ウマイゾ抔と言い出すに至りては座興も醒むる也本懸の女生徒たりともマサカ斯る殺風景の程度まてには至らされとも斯る氣味あるを免れさるなり文章に至りては從前の如く●とか●とかにて男女の書簡を區別するか如きは我輩の同意すること能はさる所なれともさりとて徹底徹尾男子と同様にするときは女子の特長たる優美の性を損するの嫌ひあり我輩本縣出身の女教師のものしたる所の随筆を見るに文字の使ひ方と云ひ全体の想と云ひ文と云ひ全然男子の手になりたるものゝ如し想ふに本縣の女子は敎育と云へは學校以外に於て受くる機會少しもなし女子敎育に従事するもの深く注意せさるべからさる也

◎第五禮儀作法 上流社會に於ては女子なれは家の出入毎に父兄に對し「行て参ります」「只今歸りました」の挨拶は決して欠さねども中以下の社會に於ては女子にても無頓着なるもの多し況や男子に於てをや少年子弟の如きは其先生に對しては格別なれども途上にて親戚又は面識の人に逢ひたるとき或は來客に對しても一禮もなさざる者多し此等の事抦は家庭の敎育に属する部分なれども今日の家庭は到底學校の旨意を達すべき家庭ならねは是れ又學校にて注意するを要す我輩曾て東京に於て幼稚園を参觀したり保姆が第一に敎ゆる所は「皆さんお家よりは何とおッしやつてお出になりました」四五歳の子兒等之に答て曰く「行つて参ります」又歸る時には必ず只今歸りましたとの挨拶を忘るなと懇々敎へて歸す家庭敎育が割合に行届きたる東京に於ても猶且つ斯の如し況や本懸に於てをや

◎第六寒暑の見舞 寒さにつけ暑につけ知人間相訪問するは社會交際の禮法なり然るに靑年の癖として斯る事に無頓着なるのみならず却て之を以て一種の恥辱となすの傾向あり我輩は少年子弟にまで之を勉めよと云ふにあらず敎師たるものが宜しく此禮法の意味を解せしむるを望むのみ

◎第七戲談 他府縣に於ては戲談と云へば毒にもならず藥にもならぬものを意味す然るに本縣にては他府縣に於て冷罵嘲弄すの部類に屬すへきものも矢張坐興の資となるへき戲談の範圍に屬す素破抜と冷罵とは實に本縣人の得意とする所也稠人の中に於て人の急所をつき赤面させ苦笑ひさせること実に妙を得たり甚しきに至りては衣食を批評し細君の棚卸し抔をして快とするに至る而して之を聞くもの少しも怪むことなし蓋し本縣人と他府縣人との間に此感覺に大なる相違あるは彼にありては交際の範圍廣きと封建時代にありては片言隻語の過より命のやりとりをなすが如き大事を惹起す塲合少なからさりし等の事情より自然言語を愼しむの習慣をなし我に於ては交際の範圍至て狭く他人突合の塲合少きより言葉遣ひも自然存在に流れたるが故なるべしこれは兎も角談話は大に人の品位に關係するものなれば敎育家たるもの宜しく是等の弊害を矯正するを勉めさるべからさる也

◎第八遊藝燕樂 の點に於て縣の内外に大に感覺を異にするは顯然たる事實なり彼我の間常に交際の疎通を缺くの觀あるも重に此點に原因す敎育家は宜しく嗜好と趣味を一致せしむるを勉めさるべからさる也

◎第九食事時間 食事時間は彼我大に異なれり此等は何でもよきが如くなれとも一歩縣外に踏出すときは本縣流の食事時間は迚も適用すること能はす殊に今後は兵役に服するものあれは此習慣の爲めに多少の苦痛を感せざるべからさる也

◎第十公共心の養成 公共心は國家的精神の根本にして國民的美德の重なるものなり然るに本縣人民は此美德の欠乏甚し路上障害物の横はれるあり一擧手一投足の勞を以て之を除くに足るも之を冷眼に看過するか如きは常の事にして甚しきは我便利の爲めに他人の妨害を顧慮せす或は公共用の物件を無意味に破壊するか如きこと我輩か往々實見する所也本縣に於て公共的事業又は共同事業の發達せさるは公共心欠乏の結果なり種々の方面より之が發達を謀るは急務中の急務也

◎第十一自由平等 と云ふ思想は置懸後の新輸入にして其議論の如きは實に幼稚なり然れども自由と云ひ平等と云ふも勝手気儘の振□をなすの謂にあらす之を正當に論究するときは自由の中に不自由あり平等の中不平等あり我儘の自由平等は是れ禽獣の自由平等なり國法を遵守するの精神か厚からざるも個人間に衝突の多きも畢竟自由平等の誤解より來るもの也以上陳べたる所の十一項は本紙上屢々論述したる所の要領にして教育家一顧の價値あるを信す(未見)

●明治卅六年拾貮月廿壹日(月曜)- 琉球新報(二)

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