突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 当間主席やらかす

先日ブログ主はアメリカ世の昭和32(1957)年1月に日本プロレスの力道山一行が来島して、3日間にわたって那覇市久茂地でプロレス興行を開催した記事を見つけました。

大雑把に興行スケジュールを説明すると、力道山一行は昭和32(1957)年1月12日に沖縄入り、14日までに3日間の日程で試合が組まれ、その中で13日と14日に力道山と怪力無双の外国人選手アディリアン・バレイジョンがタイトルマッチを行いました。当時の記事を参照すると13日の試合は大荒れの展開で無効試合、翌14日の試合は26分40秒、力道山が体固めでアディリアン選手をフォールしタイトルを防衛しています。

力道山が沖縄で試合をするのは始めてということで、試合会場の久茂地のリングは物凄い盛り上がり、琉球新報でも試合結果だけでなくプロレスに関するコラムおよび読者の投稿を掲載するほど社会の関心を集めました。ところがそのなかで「プロ・レスを見た當間主席」という記事が物議をかもしましたので全文を書き写してみました。読者の皆さんぜひご参照ください。

プロ・レス見た當間主席

○…十四日、プロ・レスを観た当間主席は安次嶺秘書や大城情報課長をつかまえ手ぶり身ぶりでプロ・レスの観方を説明……「アディリアンは芝居の敵役で始めのほどは力道山が受身となり観客をハラハラさせるが後で力道山が快勝してヤンヤと沸かす段取りになつている。リングサイドで見ていたらアディリアンが倒れた力道を踏みつけていたが、力を入れてないのがよく分つたよ」と沖縄体育協会らしいウンチクを傾けていた。

引用:昭和32(1957)年1月16日付琉球新報2面

この当間主席のコメントをうけて同日の琉球新報夕刊1面で「プロレスは八百長と当間主席…」云々との記事が掲載され、その結果世間ではプロレスの”八百長論争”が勃発してしまいます。その論争に対する答えのひとつが同月17日付琉球新報夕刊2面に記載されていましたので紹介します。

いこい娯楽にとけこむ

力道山や東富士のプロレス興行が新春の話題をさらつて、このところ私の勤めている職場でもあれやこれやといろいろ話に上ります。それについても思いますことは、何時ぞやの新聞にもありましたが、当間主席が「リングサイドで見ていると八百長ということがハツキリ分る」と言つておられましたように八百長、という話が中心です。まして三日間も続けて興行する以上、八百長でもやらないと体が続かない、というのが結論ですがそれほど八百長ということが重大問題なのでしようか、別に競馬競輪のようにお金をかけるわけでないのだから楽しめればそれで良いのではないでしようか。それに比べて子供は無邪気です。大人のように裏の裏までセンサクしてものを見るというか色目でものを見ません。力道山一行が同門のレスラーを連れてきたそのものに見せて楽しませるという狙いがあつたと思えば、今さらそれを八百長だなんていうのが却つてコツケイといわねばならないでしよう。私も見ましたがやはり力道山は三つの選手権を持つているだけに技においては見せられるべきものを見たという感じでした。

そのほかの取組はお相撲さん出身が多いだけに前の山口一行のように柔道上りのレスラーほど見ごたえのあるものはありませんでしたが、ことプロレスに限らず、すべて娯楽はその中にとけ込んで楽しめる人間になりたいものだと思いました。

那覇市十区・会社員 石嶺朝子

引用:昭和32(1957)年1月17日付琉球新報夕刊2面

余計なことを口ばしった当間主席に対し、この投稿者の冷静な突っ込みが実に秀逸です。当時の琉球住民は意外にもプロレスの楽しみ方を知っていたんだなと実感しました。

話は反れますが上記投稿のなかに「ことプロレスに限らず、すべて娯楽はその中にとけ込んで楽しめる人間になりたいものだと思いました。」との一節があります。現代の沖縄マスコミの記事に対してネット上ではきわめて厳しい意見が多数を占めますが、新聞は所詮は営利企業です。購読者に受けるから今の論調になっているのであって、一種の娯楽そのものなのです。だから沖縄メディアに文句をたれる人達は上記の投稿者のように

娯楽はその中にとけ込んで楽しめる

よう心のゆとりを持ったほうがいいんじゃねと思わず突っ込んでしまったブログ主であります(終わり)。

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