骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■1■ / 結束

県内最大の組織暴力団・二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が射殺された事件は、暴力団の組織壊滅に力を入れて来た県警にとっても大きな衝撃だった。組織内では天皇とも呼ばれるほどの絶対的な権力を握り、一家総長制を取り入れるなど内部体制も磐石に固まったと見られていただけに、言わば県警も虚をつかれた格好だ。

上原組や琉真組との抗争も切り抜け、一枚岩だったはずの旭琉会の内部で、いったい何が起きていたのか。県警でも思いつくフシがあるとはいえ、正確な事情はまだつかみかねている。ただ、捕まった2人が旭琉会で第2の勢力を持つ富永組の幹部だっただけに、今後に及ぼす影響は計り知れない。また流血の抗争事件が始めるのか。それとも逆により強固に組織が団結するのか…。ともあれ、県警は抗争事件を防止するのはもちろん、これを契機に旭琉会を壊滅させようと全力を挙げている。

一体内部で何が… / 県警 虚をつかれる

ことし6月末現在、県警が認定している県内の暴力団は4組織・18団体、796人。最大の二代目旭琉会をはじめ、山口組系の上原組と琉真組、東声会の流れを組む東亜会などだ。

しかし、琉真会は会長が逮捕されてほとんど壊滅状態。上原組も活動の拠点は関西に移り、県内では事務所の留守番役が数人いるだけ。東亜会も組員が少なく、現在は県内で暴力団と言えば即、旭琉会を意味する。

その旭琉会がここ数年、次第に方向を転換して来ている。いわば、古いグレン隊の集団から新しい現代やくざの集団へという具合に。

その第一歩が本土暴力団との友好関係を結ぶことだった。

これまで旭琉会は反山口(全国最大の広域組織暴力団・山口組のこと)だと言われていた。もともと旭琉会の結成目的が「沖縄に本土の暴力団を入れない」という名目だっただけに、反山口は当然と言えば当然。山口組系の上原組や琉真会との抗争が激烈を極めたのもそのためだ。

しかし、結成10年目を迎え、もう戦争(イクサ)をしている時代ではないとの判断から本土暴力団との縁結びが始まる。

まず、56年7月、多和田会長自身が山口組系の組長2人と兄弟分の杯(さかずき)を交わし、反山口から親山口に方針を変更。ことし5月にはこれまでも友好関係にあった関東稲川会の理事長クラス3人と、富永清理事長、仲程光男本部長の2人が正式に兄弟分の縁結びをした。

現在も夏になると関東や関西の暴力団員が沖縄にゴルフツアーに来るのを旭琉会が歓待したり、10日の多和田会長の葬儀でも本土の暴力団員が目につくなど、友好関係はしっかり保たれている。

そして外患を断ったことで、安心して内部の組織強化に乗り出した。

最初に手をつけたのは組の統廃合。それまでの旭琉会は組やグループが多く、結束を欠いていたため、各組やグループを統廃合して一家に改め、実力者を総長に据える。総長は一家の全責任を持ち、毎月30万円の上納金を本家に納める。これが55年10月1日から実施されている一家総長制だ。現在、本家を除き14の一家に統合されている。

さらに、来年1月実施予定で縄張り制も取り入れた。14の一家にそれぞれ縄張りを与えようという、一家総長制や上納金の基になる制度だ。そのため島割りも進められ、中北部ではすでに一部実施されている。

しかし、当然ながら縄張り料の多少は地域によって違いうまみの少ないを与えられた一家では不満も渦巻いていたという。結局、この不満が今回の事件の引き金になったのではないかと見られている。(昭和57年10月11日付沖縄タイムス11面)

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