骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■3■ / 火ダネ

一家総長制度島割りなど組織固めの新しい構想を次々と打ち出し、ようやく安定期を迎えようとしていた二代目旭琉会にとって、多和田真山会長射殺事件は晴天のへきれきとして大きな衝撃を与えたにちがいない。事実、多和田会長自身もわずかの取り巻きを連れて沖縄市中の町を飲み歩いていたほどで、ほとんど無防備に近い状態。撃たれたその瞬間までよもや自分をつけ狙っている者がいたとは考えもしなかっただろう。しかし、ことしに入ってすでにトラブルの兆しはあったと断言する声もある。

島割りめぐり対立 / 義理人情より権力と金

島割りをめぐる旭琉会内部の主流派と反主流派との対立がそれだ。この制度は、14一家の縄張りを厳密に定め、各一家はその縄張りだけで資金源を調達するという一見合理的な方法。しかし現実には割り当てられた縄張りのうま味の違いから、各一家の利害の衝突まで生み出した。特に、沖縄市の中の町一帯と那覇の一部をこれまで勢力下に治めてきた富永一家(富永清総長)にとってこの制度は「一家の力をそぎ落とされる」ものとして納得できなかった。多和田会長の強権で見切り発車はしたものの、この問題が内部抗争の火種になる恐れは以前残された。

資金源は暴力団にとって組織の存続にかかわる大きな問題だ。売春やとばく、借金取り立てなどの非合法な収入と風俗営業や金融業などの合法的活動によって得られた金で組織は成り立っている。そのなかでも縄張り料は重要な資金源の一つで、島割りによって既得権を奪われる一家は弱体化せざるを得ない。

そこに始まったのが、県警が強力にバックアップした「暴力排除県民運動」の盛り上がりだった。各一家は毎月、旭琉会本部に上納金30万円を納めることを義務づけられているが、縄張り料の徴収が日ごとに困難になるなかで、財政的にひっ迫した一家も出てきた。そのうえ、本土の暴力団関係者が来沖してのゴルフツアーでは、各一家が輪番制で接待を受け持たされ、その支出も2~300万円をくだらなかったという。

多和田会長が意図していたかどうか明らかではないが、ある捜査員は「徳川幕府の参勤交代のようだった」と評している。資金の調達に苦しむ一方で、上納金や接待による支出は多くなるわけで、各大名の勢力強化を恐れた徳川幕府の政策によく似ている。旭琉会本部の力はますます強くなり、各一家の力は本部に対立することができないほどそぎ落とされるという図式だ。

「旭琉会幹部で資産1億円以上を持つ者は30人以上いる」と、かつて多和田会長は豪語していたが、そのおごりが組織の末端を必要以上に締めつけて反発を招いたとの見方も。「義理人情よりもビジネスライクに変わりつつある」と捜査員。島割りをめぐって内部の対立を引き起こしたのは多和田会長の致命的な誤算だったようだ。(昭和57年10月13日付沖縄タイムス13面)

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