ハジチラー

今月10日付琉球新報DIGITAL版に “琉球の入れ墨「ハジチ」復興、自らの手で うちなー女性の誇り刻む” と題した記事がネット上でちょっとした物議を醸していたので、ブログ主は改めて沖縄県立図書館で記事全文をチェックしました。

DIGITAL版では2度に分けて配信され、 “「クール」と海外で好反応 沖縄の入れ墨「ハジチ」 手彫りに込めたルーツと歴史へのリスペクト” の全文が読めないため(あと会員登録がいやだったから)図書館に出向いたわけですが、結論を先に申し上げると、題字の付け方に問題があり、それによってSNS上で炎上してしまったのです。

ハッキリ言って、平敷萌子さんがハジチを施した理由は “自らのルーツ(絆)を体に刻んだ” というだけの話であり、民族の誇りとは無関係なのです。たとえばメキシコ人ボクサーに多いのですが、彼らは家族(親、あるいは子供)のTATOOを施すケースがあります。つまり “(家族の)絆を体に刻んだ” わけであり、動機は平敷さんと同じです。

またオリンピックに出場して好成績を上げた選手が、過去の実績をアピールするために、TATOOを施すケースもあります(例:ワシル・ロマチェンコ)。そのほかにファッション感覚で入れ墨を入れるケースもありますが、いずれにしても過去の琉球女性がハジチを施したケースとは全く異なります。

琉球新報の記事でも言及されてましたが、ハジチは “その意味は成人や結婚などの通過儀礼” であり、わかりやすく言えば “地位(ステータス)” の証明なのです。しかも慣習として地域社会に根付いてしまったので、女性たちはハジチから

逃れることは不可能

であり、自由意志で施すことができる現代のTATOOとは範疇(カテゴリー)が全く違う存在なのです。

その点を考慮せずに “うちなー女性の誇り刻む” との題字を付けた琉球新報社の編集局の判断は理解に苦しみます。

もう一つブログ主がハジチを “民族の誇り” として認めることができない歴史的事実があります。明治32年(1899)の「入墨禁止令」によってハジチは法的に禁止されますが、もちろん民間の慣習が法令で簡単に改善できるわけありません。実はハジチ撲滅に最も威力を発揮したのが “女子教員たちの啓発運動” なのです。その先駆者が沖縄初の女子教員である安村つる子(旧姓久場ツル)さんら女子講習科出身の女子教員たちです。

つまり、琉球女性は、結果的に

ハジチを捨てて学問を得た

訳であり、どっちが女性にとってためになったかを考えると “稼げる力” が付く学問の方がいいに決まってます。

今回の記事に登場した平敷さんのエピソードも、記事を仕上げた仲村良太記者もそれ自体は問題ありません。問題は題字のセンスであり、つまり琉球新報社の編集局は仲村記者の仕事を “台無し” にしたわけです。

ハジチラー

とはまさにこのことだと痛感して今回の記事を終えます。

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