3月16日に起きた辺野古沖転覆事故について、ブログ主は沖縄2紙の記事を中心に精力的にチェックしていますが、事件から2カ月たった今日においても(事件に関連した)炎上案件が出てくる異例の事態になった感があります。
ただし先日の文科省発表によって、ピークを迎えた感があるので、ここでブログ主なりに事件を整理・検証し、この事件から導きだされる教訓に言及します。ちなみに玉城知事をはじめ、辺野古新基地反対運動の活動家たちが唱える「安全管理の問題と教育の中立は別問題」はブログ主も正論と考えてますので、「安全管理と再発防止」「平和教育」「事件の教訓」に分けて考察します。
安全管理と再発防止
文科省の報告書、および地元2紙の特集記事から事故を起こした運営団体であるヘリ基地反対協の “ずさんな安全管理” が極めて印象的ですが、実は再発防止策は見えているのです。今回の事件における一番の問題点は旅程管理において旅行会社の手が届かない “学校直手配” であり、今後は旅行会社が100%旅程を管理すればいいだけの話です。
修学旅行における学校直手配はこれまで “慣習” ということで黙認されていたグレー案件ですが、今後は無くなること確実です。つまり最初から旅行会社にすべて任せておけばこんな悲惨な事故は起きなかったわけであり、しかも学校直手配を無くして損をする受け入れ先なんてほとんどありませんから、再発防止策としてはこれで十分です。
平和教育の現場は委縮するか
ブログ主は当初、文科省発表によって沖縄県内の平和学習の現場が “委縮” するのではと考えていましたが、よくよく考えると影響は極めて限定的であり、平和教育の現場はこれまで通りの学習プログラムを提供し続けても問題ないと判断してます。
普天間基地の辺野古移設に反対の声を上げる人たちがいるのは事実なので、辺野古の現場を視察すること自体問題ないですし、活動家の話を聞くのも学習の一環としてOKですが、抗議に使われる船に乗せるのは「いかがなものか」と思わざるを得ません。しかもせっかく現場に来ているのにも関わらず、賛成派や辺野古問題を争点にしない住民たちの話に耳を傾ける機会を設けていないので、文科省が「偏っている」と判断を下し、同志社国際高校も有効な反論ができないのも当然なのです。抗議船なんかに乗船させずに、辺野古の公民館で賛成派などの市民とのディスカッションでもしておけば何の問題も起きなかったのです。
そういうことを分かった上で「文科省の判断は教育の中立性ガー」と唱える人は、実際には本気ではありません。もしも本気だったら来週には玉城知事が出席する “県民大会” が開催されてますよ。もちろんそのような動きはちっとも見受けられませんので、文科省に対して抗議している輩はあくまでも「反対しているグヮーシー(ふり)」であり、適当に流しておけばいいのです。
委縮するのは辺野古新基地反対運動
5月17日付沖縄タイムス21面で「辺野古大行動 来月も中止へ」と題した小さな記事が掲載されてましたが、オール沖縄会議にとっては重要なイベントである辺野古大行進が3カ月連続で中止との異例の事態になっています。
それはつまり(口では新基地建設反対を唱えても)縁起悪いから現場には行きたくないとの活動家、とくに政治家たちの本音が反映された結果であり、おそらく知事選まで大行進は中断されるのではと思われます。もちろん知事選にも影響が出るでしょう。それゆえに玉城知事は辺野古から距離を置くために「沖縄の平和教育の守護者」との立場を取りつつあるように見えますが、そんな浅はかな考えが県民に通用するとはとても思えません。
※参考までに5月17日の記事は辺野古大行進中止の記事の隣に、「犠牲者悼み献花」と題したヘリ基地反対協のニュースを掲載してますが、ブログ主は「お前らのせいでこんなことになった」との嫌味的な記事配置じゃないかと邪推した次第です 🤔
事件の教訓
今回の事件の教訓は明白です。それは「教え子を戦場に送るな」がテンプレの学校教育現場において
戦場以外にも教え子を『死』に追いやるケースがある
ということであり、そしてこの事件の “本質” と言っても過言ではありません。もちろん我が沖縄の辺野古ガーの面々がその教訓から耳を傾けることなく、明日以降も元気よく「文科省ガー」を叫び続けることに1億ウチカビを賭けて今回の記事を負えます。
