俺が調子に乗って沖縄の高校野球の歴史を語るシリーズ 伊志嶺吉盛監督の勇退について思うこと その2

2006年の八重山商工は複数の投手(大嶺裕太、金城長靖)と強力打線を擁して、春のセンバツで1勝します。優勝した横浜高校に7-6で惜敗しますが、その後の春の九州大会で優勝すると夏の沖縄県予選では苦手にしていた中部商業を決勝で7-3で破り夏の甲子園出場を決めます。

甲子園では大嶺投手が不調でしたが、自慢の強力打線が好調で2勝を挙げます。南の島からとんでもないチームが出現したことで大きな話題となり、その活躍はテレビドラマにもなりました。ただしこの時の成功体験が後のチームつくりに大きな障害となったのです。

2006年のチームは強力打線が売りで、その後も打撃を強化する方針でチームを鍛え上げます。ただし2007年の飛ばないボールの採用に対応できす、チームは好成績を挙げることができなくなります。そのため2007年の夏の予選は興南高校にコールド負けしてしまいます(2007のチームは秋優勝、春ベスト4の強豪です)。これ以降八重山商工は県予選の戦いで多いに苦しむことになります。

飛ばないボールでの野球は進塁が大きなカギになります。2006年のチームはお世辞にも進塁打がうまいチームではありませんでしたが、それを補うだけの打力がありました。ただしその野球スタイルを2007年以降も引き継いだために県予選で勝つことができなくなったのです。2007年の夏はコールドで敗北し、2008年はお世辞にもチームとして機能しているとは言えないほどバラバラの状態でした。その結果2年連続で興南高校にコールド負けを喫します。2009年のチームは大嶺翔太、宮良当太郎、天願陽介くん等の優秀な選手を擁していましたが、秋、春の大会で満足いく結果を挙げることができませんでした。

転機は2009年春から鈴木善一氏がコーチとして赴任したことでしょう。直ぐに結果は出なかったのですが、だんだん無謀な走塁やエンドランなどが見られなくなり、進塁に対する意識が変わったように見受けられました。チームもディフェンス型へモデルチェンジして、2013年の春にはなかなか勝つことができなかった興南高校に勝利し、2013年の秋の大会では3位で九州大会でも1勝を上げることができたのです。2010年以降は、島内の優秀な選手が八重山高校に集まる傾向が強まり、部員確保にも苦労されたようですが、それでも一定の結果を挙げたのはさすがの一言です。2010年以降では

2010年:春の大会4位

2011年:秋の大会ベスト8

2013年:春の大会4位

2013年:秋の大会3位

2013年:秋の九州大会2回戦敗退(3-0指宿、2-3早稲田佐賀)

2014年:秋の大会ベスト8(2回戦で興南に3-2で勝利)

2015年:秋の大会ベスト8

の通りで地区の強豪としてなかなかの戦績で、夏に好成績を残していないのが意外なくらいにコンスタントに成績を挙げているのが分かります。個人的に印象深い試合は2013年春の県大会ベスト8の興南との試合で、2人の投手の継投で4-3で勝利した試合です(この試合は現地で観戦しました)。

ハッキリ言って当初の伊志嶺監督は実に大雑把でした。2006年は心身ともに傑出した選手たちに恵まれて過去最高の戦績を挙げることができたのですが、それ以降はチームとしての体をなしていないケースすらあったのです。空回りしていると言うかなんと言うか・・・の状態です。ただし2009年に鈴木コーチを向かえた事がきっかけで指導者として一回り成長して、13年には苦手としていた興南を公式戦で倒すことができたのです。この試合は2人の投手の効果的な継投と、攻守にわたって丁寧な試合運びでかつての八重山商工の試合では考えられない展開で勝利します。そのため個人的にも監督の成長を目の当たりにして非常に感慨深いものがありました(続く)。

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