子どもの貧困問題と教育について その1

今回は現在何かと話題になっている子どもの貧困について記事にします。この問題に関して平成28年の沖縄振興予算にも10億円が新規計上されていましたので、内閣府および政府としても無視できない案件と考えているのでしょう。他の予算に比べると少額ですが、要望が認可されたという事実は大きいと思います。

ブログ主は教育や貧困問題に対しては門外漢ですが、歴史的に見ると子供の貧困が問題視されるようになったのは、現代が初めてではないでしょうか。琉球王府の時代を振り返ると、一部の上級士族を除いて社会全体が貧困で、そんなこと話題にも上りませんでした。

農村部は権力によって住民の移動を極端に制限され、労働力の自給が当たり前、貧乏子沢山にならざるを得ない社会構造で、いざ不作や天変地異になると餓死ルートが当たり前という恐ろしいまでの貧困ぶりでした。しかも百姓に関しては一部のエリート階層(奉公人)を除いて教育ルートがなかったため、社会の底辺から脱出する術がなかったのです。

1897年(明治12)の廃藩置県後は、社会における自由度の拡大、および教育の普及によって貧困から脱出する手段が増えます。不況時における餓死ルートは根絶するのですが、今度は日本本土と沖縄との所得格差が大問題になります。大正末の推計では沖縄が1とすれば全国平均が3で、最も所得の多い大阪府との差は1:4もあったのです。

現代のGDPベースに於ける所得格差は沖縄が1に対して全国平均が1.4です。大正末の所得推計の算出方法は不明ですが、しゃれにならないほどの所得格差があったのは間違いない事実です。所得格差が開いた理由は、産業経済が製糖業に偏りすぎたために、社会全体の産業のすそ野が極めて狭い状態だったからです。そのため大日本帝国の時代は出稼ぎや移民からの送金が県の経済に於いて大きなウェイトを占めていました。

現代社会は過去を振り返ると極めて恵まれていることは間違いありません。それ故に「子どもの貧困」という言葉には違和感を感じるのですが、社会システムが変化することで新しい問題が生み出されるのもまた事実で、現代には現代型の貧困問題があると考えていいでしょう。たとえば現代社会は昔に比べると教育費など子育てにかかる費用が桁違いです。

現代の貧困問題は、換言すれば「他人に比べて恵まれていない」ことに対する不満になります。しかもやっかいなことに「子どもの貧困」を正義に掲げて、それに疑問を呈することができにくい空気が存在しているのです。実際に子どもの貧困があることを大前提にして、それに合致する事実をペタ貼りすることで、それなりのご意見をつくることができます。だたしそんな意見は単なるイデオロギーで、現実と乖離しているケースが多いのです。賽子の1が表示されて「この賽子には1の目しか存在しない」と主張することと大差ありません。その程度の人たちが子どもの貧困を問題視しても、かえって迷惑そのもので、実在する貧困問題の解決には全く役に立たないのは明白です。

ではどうやって現代版の貧困問題を解決するかと考えると、歴史的に「親がどうしようもないと子供がとばっちりを受ける」という事実は共通です。それゆえに幼いうちから適切な教育を施せば貧困の連鎖を断つことができるという発想で、教育の充実を図るのが子どもの貧困問題を解消する一番効果的な方法ではないでしょうか。速攻性に欠ける政策ですが、急がば廻れの精神で粘りつよく対処する必要があることは間違いありません。(続く)

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