ディストピアりうきう

今回は(前回の記事の)番外編として、アメリカ世時代の ”レベルの高さ” について言及します。ブログ主は前回の記事において「そして現代人から見るとアメリカ世は “ディストピア” に感じるかもしれませんが、ブログ主はこの手の間抜けが大量繁殖していたアメリカ世をどうしても嫌いにはなれない」と述べましたが、だからといってこの時代への転生はおことわりしますの一言しか言えません。

その理由は3つあり、一つは犯罪発生率が高いこと、二つ目が公共施設の衛生面の劣悪さ、そして三つ目が交通マナーが悪すぎる点を挙げておきます。とくに交通マナーに関しては在琉米軍人・軍属そして琉球住民問わず「悪い」のが特徴で、それはつまり急増する車両に対して住民たちの意識が追い付いていないことの証なのです。

今回は参考までに、昭和40年(1965)年4月20日、宜野座村漢那で米軍人が起こった悲惨な交通事故を紹介します。

幼女 はねられ即死

【宜野座】20日午前11時5分ごろ、宜野座村漢那〇〇〇〇、仲本商店前13号線路上で、同村漢那●●ちゃん(6つ)がキャンプスワーブ所属●●●・●●●●●(20)の車にはねられ即死した。〇〇〇運転手は石川方面に運行中、道路左側を歩いていた〇〇ちゃんが道路横断しようとしてひかれたもよう。(昭和40年4月20日付沖縄タイムス夕刊03面)

ちなみに翌日の琉球新報の記事がエグいのひとことで読者のみなさん、心してご参照ください。

大荒れ “春の交通安全運動”

“春の交通安全運動” は19日から全琉いっせいにスタートしたが、同日未明、具志川村で、酔って道路を歩いていた男が米人車にはねられ死亡したほか、宮古平良市西仲では、キビを積んで荷馬車に乗って帰宅途中の同西仲〇〇〇農業●●●●(51)さんが暴走した荷馬車から道路に投げだされ即死。2日目の20日午前11時ごろ、宜野座村漢那で6つになる女の子が米人車にはねられ即死初っぱなから死者3人を出した。初日の19日は、全琉で事故が十件発生。件数だけは減ったが人身事故がふえ、交通事故の人身事故 “ゼロ作戦” 計画をしり目に大荒れした。交通警察では、この運動を通じて “ゼロ作戦” を打ち出し、激増する人身事故をなくそうとドライバーにマナーを植えつける一方、児童生徒にたいして道路横断、正しい信号機の味方などを指導してアノ手この手の交通教育をしているが、事故は一行に減らず係りをヤキモキさせている。各署の交通警察では、人身事故を誘発する飲酒、無免所、スピード違反の交通三悪を追放しようと各主要地点で連日車両検問、違反者はビシビシ検挙して事故の絶滅を図っている。

この時点で「ごめんなさん」としか感想がでませんが、ここからが本番です。

行進団の目前でひく / ●●ちゃん即死暴走の米軍トラック

【宜野座】交通安全週間二日目の20日午前11時すぎ、宜野座村〔漢那〕小学校前13号線路で〔漢那〕160、津●●●●さん(40)の三女●●ちゃん(6つ)がキャンプシュワーブ所属の米兵●●●・Z・●●●●●(31)運転の軍用トラックにはねられ即死した。

●●ちゃんが学校が好きで毎日〔漢那〕小学校へ遊びに行き「来年から幼稚園に行ける」と喜んでいた矢先のことだった。事故便場に出た●●ちゃんは母親の買ったランドセルを背おって、いつも自宅前の〔漢那〕小学校に遊びに行き、生徒たちの体操や遊戯を見て楽しんでいたという。この日も学校で遊んで中食をするため家に帰る途中だった。

父親の●●さんら家族は●●ちゃんの変わり果てた姿に取りすがり半狂乱となっていた。現場は●●ちゃんの血が飛び散り、さらに●●ちゃんの背おっていたランドセルが道路上にぽつんとあり、事故のむごたらしさをありありと見せつけられた。

事故の起こった現場付近の13号線道路は道幅も広く、視界をさえぎる物はなく、一直線になっている。

事故の起こったとき、ちょうどこの日金武を出発して宜野座に向った復帰行進東コースの一行三十人が、現場で区民多数に出迎えられて休けい中。その前で●●ちゃんが宜野座方面から金武向け走ってきた軍用トラックにひかれた。「あっ」という行進団一行の叫びのあったときは●●ちゃんはすでにひかれており、車も約5㍍ほどして急停車。

現場には直ちにMPカー、パトカーなど数台がかけつけさっそく軍民合同による現場検証が始まったがいきり立った行進団は石川署員らに「加害者の所属部隊名」と「加害者の名前」を明らかにするようつめよった。

しかし現場での石川署員らは「加害者名などは判決がでたあとでなくては明らかにできない」と答えたため「そんなことはない」と行進団との間に一時緊張した空気。行進団は正午「●●ちゃんを返せ」「アメリカはまた犯罪を犯した」などと叫びながら宜野座向け出発した。

事故原因については石川署、MP隊が調べているが運転していた米兵は、この復帰行進団に見とれていたという。

なお、交通安全週間のはじまった19日にも具志川村で50歳ぐらいの人が米兵の運転する車にひかれ、同日午後十時すぎ死亡している。

いかがでしょうか。”春の交通安全運動” の初日にいきなり派手にやらかすあたり、60年前のりうきう社会の殺伐さを実感していただけたかと思われます。そして今回はあえて米軍人の事件を取上げましたが、もちろん交通マナーが悪かったのは琉球住民も同じです。一例として我が宜野湾において「普天間小学校のへの通学の際、横断歩道を渡らない生徒が多く、輪禍(交通事故)が起こる可能性が高い」という理由で普天間第二小学校が建設されたのです。

ご存じのとおり、アメリカ世時代は米軍人・軍属の事件が多発しており、そのたびに琉球住民の怒りが爆発するケースが後を絶ちません。なのでご年配の方々のアメリカに対する複雑な思いは理解できますが、直後にそんな米人たちすらドンびく事件を起こすあたりに60年前のレベルの高さを痛感しつつ、今回の記事を終えます。

息子をオノで殺す / 小禄で真昼の凶行

児童福祉週間を前に、酒に酔った父親が五つになる息子をまき割り手オノでめった打ちにして殺すという残酷な事件がおきた。

29日午前零時30分ごろ、那覇市小禄の宇栄原バス停留所前の道で、本籍小禄大嶺、住所宇栄原〇〇〇、軍雇用員、上●●(34)が三男の●●●ちゃん(5つ)をオノで切りつけ、自分もオノで頭を切りつけ死のうとした。訴えで警本パトカーと那覇署員が現場にかけつけ、●●●ちゃんを那覇病院に運んだが、ほとん〔ど〕即死状態で人口呼吸をしたが助からなかった。耳の上二か所に長さ八㌢と九㌢、ノドから肺へ達する傷を受けている。父親の●は、酒をのんでいて、事件後那覇署員の静止も聞かず、オノをふり回してあばれたがやっととり押え、那覇市美栄橋の長浜病院に収容した。頭に11カ所の傷があるが生命に別条はない。精神異常の疑もあるようだ。●はひごろから酒癖が悪く前にも傷害事件で検挙されたことがあるという。

宇栄原●●●に住む長兄の上●●●●さん(51)の話によると、●は妻の●●さんと宗教上のことでたえずいがみあっていた。このため●●さんは昨年、八重山に逃げているという。こうした悩みから、28日晩は長兄の●●●さんと話し合い、29日も早朝から落ちつかないといって、長兄のほか次兄の●●●さん(41)も交えて栄の家で相談した。そのあとの犯行だったという。犯行現場は自宅から約100㍍離れており、●は逃げる●●●ちゃんを追っかけてきりつけたという。(昭和40年4月29日付琉球新報夕刊3面)