俺が調子に乗って『琉球紀行』を解説するシリーズ その1

では今回からブログ主による『琉球紀行』の解説をスタートします。その前にルールを説明すると、

  • ページ順に解説予定も、現時点で説明が困難な部分は後回しにすること。
  • 旧漢字は現在の漢字に改めて掲載することと、ブログ主の裁量で句読点を追加すること。
  • 口語訳は行わないこと、本文および解説分を掲載。

になります。史料は国立国会図書館デジタルライブラリー公開分、および『沖縄県史』第14巻に掲載文からの抜粋になります。本文は青字で記述しますが、文語に慣れない読者は読み飛ばしても構いません。ブログ主ができるだけ判り易く解説をしますので、最初は解説の部分だけお読みください。

早速ですが『琉球紀行』の解説を始めます。

○琉球諸島往古は各島皆酋長ありて、推古欽明二朝の頃は其酋長の朝貢したること疑を容れざる所なり。久米宮古八重山奄美皆日本の古語にして各酋長あり。沖縄島の酋長を於祖加那志と云しと見へて、今に土人等は国王と云うことを知らざる者あり。「ヲリカナシーメイ」と云ふ。「メイ」は「前」にて、夫人を「尊者の志メイ」と云ひ、按司を「アジカナシイメイ」と云。親方の前又親雲上前、筑登之前等もあり。国王と称せしは舜天に始まりし様に記載すれども後世名称せしものならんと思る。察度が中山王と号せしよりのことならんか。侯伯の如き人を大名と云、是慶長以後の内地諸侯の大名と云ひしに傚しものなり。

・この文章には古来(推古・欽明天皇のころ)から当時の琉球の酋長たちが大和朝廷と外交関係にあったこと(朝貢)は疑いの余地なしとの記述がありますが、この記述は正直疑問に思わざるを得ません。ブログ主は古来の琉球人たちが大和朝廷に朝貢した事実は寡聞にして存じませんので求情報です。

・久米島、宮古、八重山、奄美は皆日本の古語にして…とありますが、著者は現地に訪れていないため、一体どのようにして現地の方言が日本の古語であるとの判断をしたのか、この点も気になるところです。

・沖縄島(沖縄本島)の酋長を「オリカナシーメイ」と云うとの記載があります。かつて琉球国内では国王は「ウシュガナシーメイ」など様々な敬称で呼ばれていたので、古代の権力者のことを「オリカナシーメイ」と呼んでいたことは十分考えられます。

・侯伯は侯爵、伯爵のことでしょう。「侯伯の如き人を大名と云」とありますが、琉球藩の時代では大名は、王子、按司、親方の位の人たちを指します。琉球の位階についてはややこしいので詳細な説明を省きますが、大まかに言うと国王の下に

王子:無品(国王の子、王叔および王弟、勲功ある按司)

按司:無品(王子家、按司家の長男)

親方:正一品から従二品まで(親方家の長男、勲功ある親雲上)

*ちなみに琉球の位階の品位は無品から従九品まで数えると19段階あります。

の品位があって、王子と按司は「素立の御位(生まれながらの貴族の意味)」とも云います。この人たちが琉球藩の時代における上流階級になります。(続く)

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