俺が調子に乗って『琉球紀行』を解説するシリーズ~プロローグ

今回から、明治9年(1876)刊行の『琉球紀行(河原田盛美著)』の解説を中心に記事を掲載します。実はブログ主は文語や候文なんて代物を学校で学んだことがありませんので、初めてこの著作を読んだ時は正直意味不明でした。現時点ではようやく内容を把握できるようになったので、敢えて(というか無謀にも)この著書の解説に挑みます。

その前に著書と作者の説明を『沖縄大百科事典』から抜粋すると、

・河原田盛美 かわらだもりはる 1842.10.5~1914.8.15(天保13~大正3)内務省出身の係官。福島県出身。福島県出身。早くから農学を志し、養蚕・製紙を研究。1869年(明治2)若松県生産局役人となり、73年大蔵省出仕。75年11月、外務省から内務省へ管轄が移されて間もない琉球藩へ赴任。この年の7月松田道之が来島して藩に藩政改革など命じており、琉球処分に向けて政府が動き出した時期である。河原田は出張所所長心得として約1年間、産物取調べや処分事務に尽力した。(中略)

・『琉球紀行』 りゅうきゅうきこう 河原田盛美著。1876年(明治9)刊行。明治政府の役人も目に映じた琉球藩の諸事情を記す。著者は1875年内務省出張所に赴任、琉球の改革の必要性を認め、旧慣を改めることや、新たな産業の振興など、いくつかの具体的な指摘を本書で行っている。内容は、琉球の歴史および王府の官制、風俗、慶良間紀行、人物評、貿易、教育、藩政改革など他方面にわたっており、当時の琉球の実情を知る上で不可欠の書である。『沖縄県史』第14巻(1965)に収録。

とあります。「当時の琉球の実情(1875年)を知る上で不可欠の書」とありますが、ブログ主がこの著作および著者のことを知ったのは数年前に『沖縄県政五十年(太田朝敷著)』を読んだのが初めてです。現代の琉球・沖縄の歴史書では著書および著者の存在が殆ど無視されているように思えたため、今回敢えてブログ内で掲載することにしました。

もう一つ掲載の理由ですが、『琉球紀行』はページ数が少なく(近代デジタルライブラリー公開文では58ページ)で現在のブログ主の文語レベルでは何とか対応できそうな分量だったからです。そのため今回は浅学の謗りを免れることはできないことを覚悟の上で、当時の琉球藩の実態を知る上で最良(とブログ主は考える)の著書の解説に挑みます。すでにブログ内では著書から一部を抜粋していますが、今回は全文解説を予定しています。長期の連載になると予想されますが、気長に記事をアップしますのでご了承ください。


関連史料

国立国会図書館デジタルコレクション公開分の『琉球紀行』

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538573

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