琉球・沖縄の歴史の概要その4

前述した巴志くんの系統(思紹王統)は7代目の尚徳くん亡きあと、伊是名島出身の内間金丸爺さん*にPC利用権を簒奪されます(下図参照)。金丸爺さんは6代目の利用者の尚泰久くん*の信頼厚き家臣でしたが7代目の尚徳くんに疎まれて隠居せざるを得ない状況になっていました。

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*尚泰久(しょう・たいきゅう:1415~1460)思紹王統6代目の王。在位は1454年から1460年の6年間です。

*内間金丸(うちま・かなまる:1415~1476):伊是名島出身の農民。思紹王統6代目の尚泰久王に見出されて側近として大出世するも7代目の尚徳王からは疎まれて隠居する羽目になります。ただし1469年(応仁3)尚徳王亡きあと群臣の推挙により王位を簒奪することに成功します。

尚徳くん亡き後に50を超えた爺さんを引っ張り出さざるを得ないほど尚徳くんとそのスタッフが乱暴にPCを取り扱ったのでしょうか、あるいはOSが時代遅れになってしまったのかそのあたりの理由は定かではありません。ただしこの利用者交代がPCを蘇らすことに成功するのです。金丸爺さんは1471年(文明3)冊封を受けて尚円王となります。PCの利用時期は1469~1476年の7年間ですが、その際にOSの入れ替えを試みます。ここで琉球・沖縄の歴史上初めてOSのアップグレードが実施され、3代目の尚真くんの時代に完成します。そのときにインストールされたOSをバージョン・ショウシン*と名づけましょう。

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*具体的には神女の組織を政治制度に組み込んだこと、身分制度の確立、地方豪族(按司)を首里近郊に居住せしめ支配地域から切り離したことなどの政治制度を改革して王権を格段にアップさせることに成功します。ただし現在の歴史書に記載されているように中央集権の確立ではなく、あくまでも思紹王統の時代に比べて王の権力が強化されただけです。最大の理由は税制を改革しなかったことですが、ここでは説明を省きます。

OSのアップグレードに成功した理由のひとつに金丸爺さんが後継者に恵まれたこと*にあります。後妻である宇喜也嘉(オギヤカ)姐さん*、その長男である尚真くん*が精力的にメンテナンスを行いOSのアップグレードに成功します。このときのインストールされたバージョン・ショウシンは当時の社会状況にマッチした出来栄えだったためPC操作が極めて快適になり、その後6代の利用者まで何の問題もなくPCを利用することになります(続く)。

*この点は極めて重要で思紹王統の場合は琉球・沖縄の歴史上でも最高クラスの英雄である巴志以降後継者に恵まれなかったことが政治不安を招き、最終的に尚円王統に乗っ取られてしまうのです。

*宇喜也嘉(オギヤカ):尚円王の後妻で当時琉球・沖縄唯一の全国ネットワークであった神女組織を掌握し自身が生んだ尚眞を3代目の王に即位させます。オギヤカが掌握した神女のネットワークは娘の月清を初代の聞得大君(チフィジン)とした政治機構のなかに組み込まれ、当時の地方の自治に対して大きな影響を及ぼすことになります。

*尚真(しょうしん:1456~1527):1477年(文明9)12歳のとき母オギヤカの策略で2代目の王追放後に3代目の王位につきます。その在位は50年と長期にわたり政治制度を改革して当時の琉球社会の安定化と王権の強化に成功します。その政治システムは1879年(明治12)の廃藩置県まで存続します。

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