続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 その4

King_Sho_Tai

もしも琉球藩が、日本国の帰属を離れて清国の外藩となった場合は、国際情勢と琉球の産業経済の現実から、最終的には清国の保護領になる可能性が高いことを説明しました。そうなると王国は形式のみとなり、国際的には琉球は清国の一部となります。その結果琉球社会がどのような変貌を遂げるかのシミュレーションを今回は行いませんが、少なくとも文化の継承と近代化の進捗には大きな影響がでることは間違いありません。

ちなみに清国以外の列強の帰属になった場合は、琉球国はどのような運命になるのでしょうか。ハッキリ言って悲惨極まりない状態(琉球藩の現状も十分悲惨ですが)になったかもしれません。19世紀の列強、特に白人は「鬼畜の仮面をかぶった悪魔」そのもので、当時の琉球国の人口30万がごっそり入れ替わる、すなわち民族の滅亡すら辞さない無茶苦茶な支配を行った可能性が否定できないのです。

ブログ主は19世紀後半の国際情勢を顧みると、琉球王国が日本の帰属の帰属になったことは最善であったと断言しますが、琉球処分を批判する人たちは、「では独立や清国の帰属が琉球の社会に対してどのような影響を与えるか」を真剣に考えたことがあるのでしょうか。この点は極めて疑問に思わざるを得ません。

一例を挙げると、琉球王国が清国の外藩になった場合は、「琉球王国の政治制度や慣習がすべて残る」ことを意味します。沖縄県設置の初期の旧慣温存策と一見同じように見えますが、実は明治政府は温存しなかった慣習もあります。代表的なものは下記の3点です。

・手形入れ:地頭階級が支配地域の住民に命じて、生活物資を廉価で調達できる特権。住民達は地頭の命じる物品を市場価格で調達して地頭には安値で販売したため、農村部の産業経済に悪影響を与えることになった。そのため明治政府は有禄士族に秩禄を提供することで、支配地域と旧来の地頭階級を切り離してこの慣習を廃止させた。

・買上糖(黒糖)の鉄銭での買い取り廃止:琉球藩の時代は、価値が絶賛下落した鉄銭で黒糖を王府が買い取りしたが、明治政府は円での買い取りに切り替えた。(銅銭や鉄銭と円との交換比率は不明も、従来に比べて32分の1に下落した鉄銭での買い取り廃止は黒糖生産農家にとって大きな恩恵になった)

・教育の普及:旧来の士族のみではなく、すべての階級に学問の門戸を開いたこと、特に女子教育の普及に努めたことは、琉球・沖縄の歴史のおける一大快挙と言えます。

*実は手形入れの慣習廃止と、買上糖の銅銭買取の実施は明治12年(1879)から琉球藩で実施予定になっていました。明治11年(1878)急遽決定された様子も、そのいきさつは現在確認中。

もしも琉球国が日本ではなく、清国の外藩になった場合は、琉球国の内政は王府側で行うことが予想されます。すなわち上記3件のような改革を行うきっかけに恵まれず、旧来の慣習は善悪関係なく「すべて継承される」ことは間違いありません。その結果、人口の多数を占める百姓階級やあるいは無禄士族は従来のような悲惨な生活を送らざるを得ない状態になること、これまた間違いありません。琉球処分を批判する人たちは、そのあたりを斟酌したことがあるのでしょうか、その点も極めて疑問に思わざるを得ません。

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