琉球藩の時代 その11

しばらく野球ネタが続いていましたが、すこし中断していた本ブログの本題である琉球。沖縄の歴史の記事をアップします。

1372年(建徳3/応永5)に時の権力者である察度(さつど)が中華の皇帝の使者を受け入れて冊封体制に加入して以来、琉球の権力者は中華の皇帝のお墨付きを得て初めて正式な国王となる慣例が定着します。

この慣習の欠点は冊封使の受け入れに莫大な費用がかかることです。冊封使の渡来(御冠船)は一行約500名程度、滞在期間は半年で、その間の滞在費や接待やイベント行事はすべて琉球王府の負担で、その内容は以下沖縄の歴史(比嘉春潮著)から抜粋します。

冊封使の滞在は約半年で長いのは9か月に及んだこともある。この長い間、全員の食料その他全部沖縄側の負担であり、なかなかたいへんであった。殊に食料については、数年前から物資を準備蓄積する必要があった。綿羊鵞鳥のような沖縄にいないものも特に農家に飼育させ、又海魚も豫ねて濫獲を禁じて養殖し、魚介類も一定の場所に飼育させ、果樹はその年に結実をよくするためにニ三年は実を付けないようにして、樹力を養っておくなど、あらゆる方法を講じた。そのために全体の費用は大体正銀3500貫目に上り、少ない時でも2300貫目、現銀1200貫目から1700貫目余りに達したとのことである。

銀1貫は1000匁(約3.75kg)で現代の金額では推定125万円です。冊封にかかる費用は正銀3500貫目の場合は約43億円になります。なお当時の琉球王府は薩摩に借金(藩債)があり、その額が推定で数億円程度ありました(5億円ぐらい)。

薩摩藩への藩債の返済ですら滞っている国家経済で、その何倍もの出費をして冊封を行うのは現代人の感覚からすると狂気の沙汰としか思えません。しかもハイパーインフレで産業経済が絶賛崩壊中にスーパーイベントを開催するのは税負担者である百姓たちに事実上死刑を宣告しているのと同じです。経済が崩壊中にも関わらず日本海にミサイルを発射したり核兵器を開発しているお隣の国の所業よりもはるかに悪辣な仕打ちであることは間違いありません(続く)。

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