大正時代の物騒なニュース

「最近は物騒な社会になったね」とのオジー・オバーたち嘆きを聞いたことありませんか。たしかにワイドショーでは嫌ななニュースが多々報じされていますが、「ではあんたらが生きて来たアメリカ世は物騒じゃなかったの?」との野暮な突っ込みはやめといて、今回は大正時代の男女間のトラブルを報じたニュースを紹介します。

沖縄最初の弁護士である麓純義(ふもと・ふみよし)氏が「トラブルのほとんどが、酒・金・女」と嘆じていましたが、今回紹介する記事内容から大正時代も現代も様相はいっしょなんだなと痛感します。ちなみに、現代基準から見るといろいろ突っ込みどころありありですが、とりあえず全文をご参照ください。ただし旧漢字は訂正し、必要に応じて句読点を追加しています。

女房に振(ふられ)て殺意を起す▹未練男四年の懲役

島尻郡知念村字久高産れ内間相五郎(四〇)は、七~八前八重山島与那国に出稼業を営み居るが、兼ねて郷里に於(おい)て聞きし女護島(※女だけが暮らす故男はもてるに違いないという想像上の島)と違い、思ひし通り女の道楽も出来ず、ツイ二~三年前、

土地で七名から夫を持換へた有名な淫婦

田島マヒ(三七)と契り、内縁の妻として暮し来りしが、家庭の困難の結果両人間は常に風波の立ち荒び、稍もすれば大立廻を演じて附近の人まで騒がせ居たり。昨年七月二十六日のことなり。相五郎マヒは共に夕食の膳に向ひながら、例の家計上の一件で一二口論を押初めたる末撲(なぐ)り合となり、遂に其(その)夜より離縁となりてマヒは其の儘家を出て行きしが、相五郎はマヒのことを思切れず、翌日マヒを呼び戻しに行きしも

赤ンベーを喰い、

愛相のなさ悪口雑言を浴びせられしかば、相五郎は非常に憤怒し「此奴尼めが詫れば突上る憎くき奴」と殺意を生じ、二十八日マヒを小字ノコ原畑地に待受けて用意の鋏を差し向け、前頭部他二十八ヶ所を突きて重軽傷を負はし、マヒが悲鳴を上げて倒れしを死んだものだと後も見ずに逃出したり。此事忽ち駐在巡査の知る所となり、殺人未遂罪として相五郎は直ちに捕縛されたり。而して昨日地方裁判所に於(おい)て之が公判開かれしが、相五郎は裁判長の尋問に対し「自分は鋏で殺すつもりではく

淫婦の見せしめに傷を負したまでなり。

其の証拠に鋏は手拭で包み尖を一分ほど出して突けり」と述ぶ。裁判長はタオルを巻きし押収の鋏を出して見せ、当時用ひし物件に相違なきを確かめて後「鋏の尖は一分ほどした出でざりしと云ふに一寸余も出て居るにあらずや」と詰問すれば。被告相五郎少しも狼狽せず「当時の長さは確かに一分ほどなりし」と荅へたり。裁判長の尋問終りて検事の論告あり之に対し弁護士の弁論あり。結局傷害罪に問はれ四年の懲役を言渡されたり。(大正2年2月6日付琉球新報3面)