2016年10月22日、GRS護佐丸リラーニングサポートでのスピーチ原案

去る10月22日、GRS護佐丸リラーニングサポート内で現代沖縄における歴史認識について簡単なスピーチをおこなう機会がありました。今回はその原案をアップします。ブログ主が現時点で感じている歴史認識の問題点をまとめた内容ですが、2年あるいは3年後にこの草稿を読み返してどのような反応をするか今から楽しみです(笑)。

題目 

あいさつ 

1.現代沖縄における歴史のグラウンドデザインとは何か? 

2.現代沖縄の歴史認識はいつから定着したか? 

3.現代沖縄における歴史認識の問題点。 

4.歴史認識の問題を解決するには? 

あいさつ(省略) 

1.現代沖縄における歴史認識とは何か? 

まず初めに、現代沖縄における歴史のグラウンド・デザインについて説明します。その前にグラウンド・デザインという用語は聞きなれないかもしれませんが、歴史を記述する上でのプラットフォーム、基本思想と考えてください。つまり歴史を語るにあたって、先に基本思想があり、その思想に合致した歴史的事実を取り上げて、最終的に史書として完成させます。

この方針は別に珍しくも何ともなく、我が沖縄の歴史においても中山世鑑(羽地朝秀著、1650年)の編集から現代の歴史書まで、上述した作業で史書は作成されています。グラウンド・デザインを採用しない場合は、単なる無味乾燥の(つまらない)年表になってしまうため、どうしても必要な作業と理解したほうがいいかもしれません。

では現代沖縄の歴史家はどのようなグラウンド・デザインで歴史を記述しているのでしょうか?誤解を恐れずに申し上げると、

1.琉球・沖縄の歴史は慶長14年(1609)の薩摩入り後400年間ずっと差別されてきた。 

2.琉球・沖縄の歴史において沖縄戦より悲惨な事例はない。

の2点になります。2番に関しての説明は今回は省きますが、1番の「ずっと差別されてきた」という考えかたは絶対的な影響力を持ち、現代の歴史書のほとんどすべてがこのプラットフォームを採用して作成されていると言っても過言ではありません。

2.現代沖縄の歴史認識はいつから定着したか? 

では現代沖縄における歴史認識はいつごろから社会に定着したのでしょうか?私事で申し訳ありませんが、今年5月より琉球・沖縄の歴史ブログを開設して、その際に現代のみならず、戦前に刊行された歴史書も複数参照してきました。その時気が付いたのですが、1950年代までに記載された歴史書には現代のような強い被差別意識があまり感じられないのです。

たとえば沖縄県政五十年(太田朝敷著、1932年)において、太田先生は不当な沖縄県人差別や当時の県政の矛盾を「遺憾だらけ」と厳しく批判しています。ただし単なる批判だけでなく、当時の県政の功績についても正当に評価している点は見逃せません。教育の進展に関しては高く評価しています。

1959年に刊行された「沖縄の歴史」において、著者である比嘉朝潮先生は92章において奈良原知事の功績を取り上げています。現代の歴史書のほとんどが奈良原知事時代の沖縄県政の功績を黙殺しているのに比べると、その公平さが際立ちます。

今回例に挙げた2冊の共通点は明らかに「琉球・沖縄の歴史はずっと差別されてきた歴史である」というグラウンドデザインを採用していないことです。両先生とも「差別された」ことと「差別され続けられた」ことをハッキリ区別されています。特に朝潮先生の「沖縄の歴史」は1955年1月から1958年3月まで沖縄タイムス上で掲載された「沖縄民族の歴史」を編纂したものを1959年に刊行したもので、それ故にその当時は現代とは違う歴史認識が主流だったと考えられます。

それでは現代の歴史認識はいつごろから誕生して、そして社会に定着したのかを考えると、私は1960年代になってからと仮定します。作家の大城立裕(おおしろたつひろ)先生が「1959年に小説琉球処分を新聞に連載したときには多くの人が「琉球処分」という言葉を知らなかった。だけど復帰直前あたりから琉球処分という用語が一般化してきた」と興味深いお話をされたことがあります。琉球処分という用語自体は明治政府における正式な行政用語で(たとえば松田道之琉球処分官)、その用語は伊波普猷先生の著作にも登場するのですが、驚くことに1950年代までは当時の沖縄社会において一般化していなかったのです

1960年代の沖縄はアメリカ軍の占領行政下で、住民運動が盛んに行われていた時代です。沖縄の歴史上もっとも熱い時代と言っても過言ではありません。そしてこの時初めて沖縄の歴史上で「我々はウチナーンチュである」という連帯感が全島レベルで浸透します。これは歴史における奇跡そのものですが、その連帯感を支える根本は被差別意識差別からの解放の概念です。そしてその考え方が歴史の世界に持ち込まれることになったのです。

3.現代沖縄における歴史認識の問題点。 

現代沖縄における歴史認識の原型は1960年代に誕生したと仮定します。この歴史認識は「我々はウチナーンチュである」という連帯感を支える中心的な思想で、あっという間に全島レベルで浸透したのではと考えております。では現代において、1960年代に創られた歴史認識がどのような問題を引き起こすのかを考えましょう。

その前に私は便宜上アメリカ軍の占領行政時代に誕生した世代を「戦後世代」、本土復帰前後に誕生した世代を「復帰世代」、平成前後に誕生した世代を「平成世代」と定義しています。実はこの3つの世代は当人の意識によって大きなギャップが存在しています。

たとえば戦後世代は、アメリカ軍の占領行政下で敗戦国民としての悲哀を経験しています。その屈辱がウチナーンチュとしての連帯感を醸成し復帰運動を成功させるのですが、その過程で「被差別意識」や「差別からの解放」の考えが浸透するのはある意味当然のことなのです。

復帰後に誕生した世代は当時の空気をある程度察することができます。ただし平成前後生まれの世代には戦後世代の心情が理解できません。平成世代は被差別意識から来る劣等感が皆無なのです。「ヤマトゥーに負けるな」と発破が通用するのは復帰世代までです。平成の世代は普通にやればできると思っているので「ヤマトゥーに負けるな」とのゲキにもあまり反応しません。 

現代の歴史教育の問題は、本土に対して被差別意識がなく劣等感が皆無の世代に、1960年代に造られた歴史認識を教え込んでいることに尽きます。つまりわざわざ手間暇をかけて現代の世代に不要な劣等感を植え付けているのです。傍からみると実にバカげていますが、戦後世代が作り上げた歴史認識はイデオロギーの高みにまで昇華しているため、その思想以外で歴史を教育するという発想がなかなか出てこないのもこれまた大問題なのです。

4.歴史認識の問題を解決するには? 

ここで誤解を恐れずにハッキリ申し上げますが、アメリカ軍の占領行政を経験した世代は琉球・沖縄の歴史においてもっとも偉大な世代です。1945年(昭和20)の沖縄戦の敗戦から立ち直り、歴史上かつてない経済成長を達成してしかもウチナーンチュとしての連帯感の醸成にも成功したからです。意外かもしれませんが、沖縄全島レベルで「我々はウチナーンチュである」という連帯感が浸透したのは琉球・沖縄の歴史上1960年代からです。故に私は戦後世代を非常に尊敬しております。

言い換えると現代の繁栄の基礎を築き上げた世代で、我々は身近に偉大な先輩がいることをもっと誇りに思うべきなのです。ただし戦後世代が偉大であることと、その思想に無条件に従うことは別問題です。当時の世代が残した「琉球・沖縄の歴史は慶長14年(1609)の薩摩入り後400年間ずっと差別されてきた」という歴史認識、そしてその認識を支える「被差別意識」は将来の沖縄社会において大きな足かせになる可能性が否定できません。

先にも述べたとおり現代の沖縄県民、とくに平成世代は被差別意識からくる劣等感は皆無です。その世代に従来の歴史観を教えるのは、現代の世代の無限の可能性をを大きく狭める結果になる恐れがあります。劣等感を持つことの最大の欠点は社会に貢献しようとする心意気を持った人材が輩出しにくい社会になってしまい、結果として社会全体が停滞してしまうことです。

それでは現代に生きる我々はどのように対処したら良いのでしょうか?簡単なことで「慶長14年の薩摩侵略後、沖縄はずっと差別されてきた」という歴史観を疑うことです。そうすると従来の歴史では取り上げることのなかった様々な事例から、我が沖縄においても素晴らしい先輩が数多くいたことを実感できます。特に1879年から1945年の大日本帝国時代の沖縄県は社会に大量のエリートを輩出したことが特徴で、彼らの生き様は、現代に生きる我々に勇気と誇りを与えてくれます。

繰り返しますが、琉球・沖縄の歴史は差別され続けてきた歴史なんかではありません。19世紀後半の琉球王国の政治的・社会的惨状と、1945年(昭和20)の沖縄戦後の2度の壊滅的なダメージから復活した偉大な先人たちの末裔である我々が余計な劣等感を持つ必要はありません。現代社会を堂々と胸を張って生きていくべきなのです。そしてそれが偉大なる戦後世代を超える唯一の道であると私は確信しています。(終わり)

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