はじめに

琉球国は南海の勝地にして
三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし
日域を以て脣歯となす
此の二者の中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり。

上記は1458年(長禄2)首里城正殿に掲げた大鐘(万国津梁の鐘)に刻まれた銘文(の一部)で、現代語訳は以下の通り。

「琉球国は南海の勝地で、三韓の秀をあつめ、中国・日本とも親密な関係にある。この二国の間に沸きいずる蓬莱の島である。」

勝地:地勢(あるいは地政学的に)優れた土地
三韓:朝鮮半島
大明:中国大陸の政権(当時は明)
日域:日本の政権(当時は足利家による室町幕府の時代)

この一文は沖縄の地理的条件を的確に表現しています。中国大陸と日本列島の中間の位置にあり、東南アジアへのアクセスも可能で交易中継地としては申し分のないまさに勝地です。ただし、中国大陸や日本の政変の影響を強く受けることも見逃せません。

「唐や差し傘、大和や馬ぬ蹄、あんせ沖縄や針ぬ先」

古いことわざですが、中国大陸と日本列島と沖縄の国土の広さを表現しています。実に面白いたとえですが、実は「針の先が呑み込めるか」というちょっとした自負心を感じる内容でもあります。残念ながら1879年(明治12)の廃藩置県(琉球処分)の措置により尚家の琉球国は滅亡してしまいます。

「沖縄は太平洋の要石(キーストーン)」

アメリカによる占領行政の時代(1945~1972)の言葉です。沖縄に米軍を配備する際の根拠の一つですが、沖縄が日本、中国、朝鮮半島、および東南アジアとの海上交通(あるいは航空上)の要所であることを正しく表現しています。

万国津梁の鐘の銘文が1458年で、キーストーン発言は1945年以降ですから、約500年来沖縄の置かれている立場は根本的には変わっていないのです。つまり「沖縄は東アジアの交通の要所であるが、日本列島と中国大陸の政治・経済・軍事力の変化に大いに影響を受ける。」ということでしょうか。1945年(昭和20)以降は日中両国のほかにアメリカも加わります。

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