金丸の謎

そういえば4年ほど前に「古琉球の深淵 – おぎやかの謎」と題した3記事を配信しました。ちなみにそれらの記事は未完成で、しかも長年放置されていたので、そろそろ続編でも考えようかと思い古りうきうの史料を漁っていたところ、思わぬことに気が付かされてしまいました。

※なぜ放置されていたかについて、記事「おぎやかの謎(3)」の最後で「次回はそんなおぎやかさんに目をつけられて王位を追放された気の毒な王族について言及します」と〆ていますが、実はあまり気の毒ではなかったことに気が付いたからです。この件については、後日機会がありましたら言及します。

その思わぬこととはおぎやかの旦那さんである尚円王の名前です。尚円王の通説は17世紀中盤以降(中山世鑑など)に準拠しているため、どうしても漢学のバイアスが掛かっています。ただし “童名(ワラビナー)”と “神號(しんごう)” は例外であり、尚円王の神號についていろいろ調べてみたことろ、意外にも第一尚氏から第二尚氏にかけてのりうきう社会の断片が見えてきましたので、当ブログにてまとめてみました。

そのまえに神號について説明すると、沖縄大百科事典には「国王が即位するとき神の託宣によってつけられる聖号(以下略)」とありますが、実はこの説明には補足が必要であり、正確には「国王の即位を慶賀する儀式において、現人神である最高女神官を通じ、神(キミマムン、キミテヅリなど)から授かる聖名」となり、その祭礼(慶賀式)のことを「百果報事(ももかほうこと)」と言います。ちなみに尚円王の場合は、中山世鑑によると1473年に祭礼が開催され、その際に「金丸按司添末續之王仁子」の神號を授かっています。

※百果報事はオモロ表記では「もゝかほううこと」であり、読み方はおそらく「ムム・カフー・グトゥ」でしょう。

※君手摩はオモロ表記では「きみ、てつり」であり、読みは「キミ・ティヅイ」としておきます。

ここで金丸按司添末續之王仁子をブログ主が独断でオモロ表記に書き換えると「かなまるあんしおそい、すゑつきのわうにせ」となり、品詞分解すると、

・かなまる:かな(金)は美しいを意味する接頭辞。まる(丸)は古語で「完全で欠けたところがないこと(無欠)」。

・あんしおそい:あんし(按司)は主のオモロ表記、おそい(襲い)は按司たちを治めるという意味で、按司を治めるお方の意。

・すゑつき:この語は「阿麻和利の謎 – 勝連按司(1)」で紹介した恵祖根屋末(ゑそにやすゑ)と同義で、「伊祖の草分けの家の末裔」、すなわち英祖王の末裔を意味します。

・わうにせ:わうの発音は「オー」であり、意味はもちろん「王」、にせは「ぬし(主)」が転訛した表現で、つまりわうにせ(王主)とは意訳すると「王様」になります。

つまり金丸按司添末續之王仁子をオモロ表記「かなまるあんしおそい、すゑつきのわうにせ」に直して、改めて漢字を当てはめると「金丸按司襲い末続の王主(按司を治める完全無欠なお方で、英祖王の末裔である王様」になります。

いかがでしょうか。通説ではクーデターで王位を簒奪した人物ではありますが、神號を紐解くと、15世紀のりうきう社会の伝統をちゃんと継承していることが伺えます。そして父は英祖王を意識した聖名が付けられていますが、息子のまあかとたる君は、おぎやかもい(御近様)、すなわち神の近親者という

わんや最も神に近い存在やしが(意訳)

という、ぶっとんだ神號が授けられているのは極めて興味深いところです。

それはおいといて、尚円王の神號から15世紀中盤から末にかけてのりうきう社会の様相が伺えましたので、次回はこの点について言及します。