前回の記事において「巻十六 勝連具志川のおもろの御さうし」の「(一六ノ二)命上がりが節」のオモロを紹介しましたが、実はこの件は以前の記事でも考察した内容であり(下記リンク参照)、今回は再検証になります。ただし前回と今回の “意訳” に若干の差異がありますが、その違いについては今はそのままにしておきます。
ここでおさらいですが、「(一六ノ二)命上がりが節」の意訳は以下の通りになります。
おもろ殿原(人名)だよ、予言者の言葉は正しいことよ。
(国王は)勝連(の地)をお選びになり、千代にいましませよ。
名高い阿和麻利よ!(国王は彼を)国の縁者に成し給い、
(そして国王は)勝連をお選びになり千代にいましませよ。
そしてこのオモロがブログ主の考察通り国王を讃えた内容であれば、通説に照らし合わせると無視できない “不都合” が生じてしまいます。
まずはこのオモロが阿麻和利の乱(1458)以前に唱えられたとすれば、後に反乱を起こす人物と「国の弟兄(縁者)」になった国王を讃えたオモロを授けた男性詩人が存在していたことになります。そして勝連の事件が史実であれば、このオモロは(詩人と共に)抹殺されてもおかしくはない、だがしかし現にオモロは残っているという矛盾が生じます。
次にこのオモロが乱以降、たとえばオモロ詩人が活躍した16世紀中に唱えられたとした場合、国王は尚真、尚清、そして尚元あたりの時代になりますが、首里に対して反逆を起そうとした人物の名前が、勝連の按司の聖名として後世に伝承されたことを意味します。それはそれで不都合ではありませんか。
つまり、阿麻和利の乱の以前であろうが、以後であろうが、このオモロが国王を讃える内容あると実に不都合極まりないことになるのです。ブログ主が案ずるにおそらく鳥越先生や外間先生も、そして後世の研究者たちもこの点が気が付いていたと思われますが、だがしかし通説は無視できないため、「(一六ノ二)命上がりが節」は阿麻和利を讃えた内容であると解釈したと思われます。
ハッキリ言って、巷の通説に反する解釈よりは、(このオモロには)未詳語があると説明したほうが無難※ですからね。そしてブログ主は偉大なる伊波普猷先生の影響力のすごさを改めて痛感した次第であります。
※その理由は阿麻和利の乱はなかったと証明できる(史料的、考古学的な)裏付けがないからです。
今回はここまでにしておいて、通説抜きでオモロを解釈すると、違った “古琉球” が視えてくることを理解していただけると幸いです。
次回は、「巻十六 勝連具志川のおもろの御さうし」に掲載されているオモロのなかで、ブログ主が最も衝撃を受けたものを紹介します。