金丸の謎 – 神號を授けたのは誰か

前回の記事において、尚円王の神號について深堀しましたが、今回は最大の謎である「だれが王に神號を授けたか」について考察します。ここで百果報事について復習しておきますが、「国王の即位を慶賀する儀式において、現人神である最高女神官を通じ、神(キミマムン、キミテヅリなど)から授かる聖名」なので、祭礼の際に最高女神官が王に神號を授けたのは間違いありません。

「中山世鑑」によると、成化八年(西暦1472)に冊封、そして翌年の成化九年(1473)に百果報事の開催の順となりますが、ひとつだけハッキリしているのは、その祭礼時において尚円王に神號を授けたのはおぎやかさんではないということです。

というのも、確かにおぎやかさんは高級女神官の出自の可能性がありますが、尚円王の即位時は「妃」、すなわち彼女は政治側(権力)の人間だったからです。この点は極めて重要で、当時のりうきう社会は権威(神女)と権力(政治)の分野がハッキリ分かれていて、分業と協同の関係にあり、つまりおぎやかさんは王妃とはいえ、女神官の伝統やシキタリについては口うるさく突っ込めない立ち位置だったのです。

※彼女が神女組織の大あんし(意訳:大ボス)として君臨したのは尚円王の死後、尚真王が即位してからです。

となると尚円王に神號を授けたのは、おそらく第一尚氏時代の最高女神官であり、ハッキリ言ってそれしか考えられません。となると尚巴志の血筋を引く最高女神官を頂点とした神女たちが尚泰久王の息子尚徳を見捨てて、離島出身のどこの馬の骨かわからない人物(しかも容姿がいまいちな小男)に神號を授けたことになります。つまり尚徳王は神女たちの逆鱗に触れる何かをやらかした可能性があるのです。

ちなみに第一尚氏時代の最高女神官は、以前 “王族のふみあかり ではないかと推察しましたが(下記リンク参照)、ももとふみあか里じゃなくても、「あおりやえ」や「さすかさ」といった第一尚氏の王族の血を引く最高女神官たちが授けたかもしれません。

ももとふみあかりの謎 その1

今となっては第一尚氏時代の最高女神官が誰かを特定することはできませんが、第一尚氏時代に原型ができつつあった神女の組織を尚円王時代にうまく継承し、そして発展させたからこそ尚真王の長期政権が可能だったことは間違いありません。そしてその大役を果たしたのがおぎやかさんです。話は少しそれてますが、おぎやかさんは尚円王の妃として、そして尚真王時代は最高権威者として(神女組織の継承・再構築・そして発展の)大きな仕事を成し遂げたのです。

最後にこれは余談ですが、尚円王は「金丸」の聖名に強いこだわりを持っていた可能性があります。というのも “かねまる” の名称は「おもろさうし」に複数散見され、北は国頭、南は首里・宜野湾、そして久米島のオモロにも「金丸」のワードが登場します。つまり古代には多くのかねまるさんがいたというわけですが、尚円王は王号に「円」、神號に「丸」、そして菩提寺は「円覚」と、円(丸)の単語で統一しているのは極めて興味深いです。

もしかして誰かが入れ知恵したかもしれませんが、明らかに

見た目ブサイクなので自分のことを「完全無欠」と思い込みたかったのかな

と、余計なことを考えつつ、今回の記事を終えます。