琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その3

イスラム教を理解するには聖典コーランを熟読するのが一番でしょう。ただしコーランはアラビア語で唱えないといけません。翻訳はNGです。そのため各国語に翻訳されたコーランは補助教材扱いでコーランを唱えたことにはなりません。 

この件に関しては井筒俊彦氏のエピソードを紹介します。井筒氏は第二次世界大戦中にエジプトのカイロの大学から訪れていた法学者から「コーランは翻訳してはいけない。それは宗教法に反する。だが日本語によるタフシール(解説書)ということにして出版すればいい」とアドバイスを受けます。そのアドバイスを受けて出版されたのが岩波書店のコーラン(上、中、下)です。

当事アドバイスを受けた井筒氏は「随分形式的なことをいう人だ」との感想を持ちます。この感想がまさに日本人*なのですが、アラビア語で唱えなければならない(しかもカーリウという正式な唱え方がある)という制約を越えて世界中に布教したのは驚異的としか言いようがありません。では当事の琉球人がアラビア語を理解できない程のレベルであったか?

*教義を理解すれば形式にこだわらないのが日本人の習い性のため、明治以後も聖典の翻訳OKのキリスト教はある程度布教しましたがイスラム教は全く広まりませんでした。

そんなことはありません。当時の朝貢貿易に従事していた琉球人は外交官+商人+航海士の役割を担っています。当然最高レベルの人材でないと務まりませんし、最高の人材でないと航海事故を起こしてしまいます。イスラムの教え及びアラビア語を習得できないレベルだったとは考えられません(続く)。

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