
重要なことなので繰り返しますが、沖縄県民(とくに本島)は祖先を敬うことと崇めることの区別ができません。典型的な例がトートーメーの男系継承(長男)で、女系が継承すればご先祖さまがお怒りになるという観念は迷信以外何物でもありません*。
*ちなみにブログ主の家にあるトートーメーは祖母→長女(ブログ主母)が管理しているので女系継承です。もしも将来、主がトートーメーを管理する立場になったら他系交わり(タチーマジクイ)になるため、ユタの論理からすると確実にご先祖さま激おこプンプンで祟られることになります(笑)。
男系継承の観念そのものは珍しくも何ともありません。ただしトートーメーを女系が継承すればご先祖さまのお怒りを買う等の発想はユタが沖縄本島中に巻き散らかしたものであって、おかげ様で1980年(昭和55)に琉球新報社でトートーメーの問題を取り上げるまでは、この観念は世の女性を大いに苦しめることになります。
ユタの権威なんてちょっと調べると、その根拠が薄っぺらであることが分かります。なぜユタを信じるか(友寄隆静著、1981年刊行)にも記載されていましたが、ユタからクリスチャンになった人はいても創価学会やクリスチャンからユタになった人は確認されていません。このエピソードからもお分かりの通りユタの権威なんてハッキリ言って大したことはありません。
ユタからクリスチャンになった人の話によると、「判示(ハンジー、診断のこと)やウグァンで金儲けはできても心が休まる暇がない。心底には常に判示が外れたらどうしようという不安が付きまとう」とのこと、この程度のレベルの人たちの診断を有り難く承る必要はありません。ましてや数十万の大金を払ってウグァンを行うのは無駄な行為以外何物でもなく、ハッキリ言って胡散臭い健康食品*を購入したほうがマシです。
*健康食品の場合は効果がない場合には払い戻しができるケースがあります。ユタの判示とウグァンの効果がない場合は払い戻しができないばかりか「ウグァンが足りないから(怒)」と逆に責められます。
現時点で沖縄県の人口は140万ですが、その中には科学では解明できない能力を持った人が一人や二人いてもおかしくはありません。世の中科学で解明できない現象のほうが多いので、いつ予想外の出来事が起こっても不思議でもなんでもありません。そこに付け込んで「ご先祖さまガー」とか「土地ガー」とか理屈をつける人はいちいち相手するのも面倒くさいので、いっそのことインチキ扱いでも構わないとブログ主は思います。
現代は情報入手の自由が大幅に認められている時代です。インターネットの普及で情報を入手する手段も増えましたし、何より情報発信の自由が大幅に拡大している社会環境においては、旧慣習に従って生きるユタにとってまことに住みづらい世の中であることは間違いありません。内面の良心の自由と情報発信の自由の2つの観念は、ユタが全盛であった琉球王国の時代にはありません。ブログ主は近い将来においてユタが沖縄社会から完全に無視されるほどの存在に成り下がると確信しています。だから「ご先祖の祟りガー」とか「土地ガー」とか言われても全く気にすることなく、社会生活を送ることができるのです。(終わり)
崇めることと敬うことの区別を具体的にしてみてください(笑)
論点がぼやけている印象です。
あなたが論じている問題の本質は、
沖縄社会に内在する女性差別の慣習への態度に集約されると思います。
>男系継承の観念そのものは珍しくも何ともありません。
と
>女系が継承すればご先祖さまのお怒りを買う等の発想(に対するあなたの非難)
には矛盾が存在します。
あなたが男系継承を必ずしも否定しないのは
伝統的な慣習をある程度尊重する態度を示しているのでしょう。
他方、女系継承も受容すべきだ、との主張には
伝統は尊重しつつも、現代社会の男女平等の概念との
妥協を図る気持ちが感じ取れます。
もちろん、これには経済的問題もあります。
子供が女しかいないとか、男はいるがダメ人間で経済力が無く
女が継承するしかないとかいう話はザラですからね。
あなたの議論には曖昧な点も多いですが、
女性差別への態度には共感します。
私自身、祖先の祭祀を、長男が中心に行うのが「望ましい」、
という基本的概念は、否定する気は全くありませんが、
女系継承を断固否定する考え方が沖縄に実在するなら(私自身は経験していませんが)
非現実的で、現代の良識とも相容れないと思いますし、
洗骨は嫁の仕事だ、などという習慣に至っては
ただの女性差別でほとんど虐待だと思います。
ただ、創価学会やクリスチャンや健康食品と比べて、ユタよりはマシ、
と断じる姿勢には全く共感しません。
ユタと比べてこれらがマシだとは、私は全然感じません。
全て同レベルのカルトですね。
いずれにせよ、あなたも別項で指摘しているように、
これらは本質的には個人の信教の自由の問題です。
ユタにせよキリスト教にせよ
これらによって癒されて社会復帰している人がいるのは事実です。
(無論、完全に終わってしまった人もいますが)
狂気を癒すのに別の狂気が必要なことも
現実社会にはあるのです。
私は、これらのカルト宗教に対する態度としては
「あなたがそれを信じてハッピーならいいんじゃないですか、
ただ私は興味ないし関わりたくないので勧誘しないでください」
というのが適当だと思います。
いずれにせよ、繰り返しますが、クリスチャンや創価学会との比較で
ユタはこれらよりひどい、というあなたの主張には
一切共感しません。ユタのあらゆる悪徳・欠点を
これらカルト集団は漏れなく共有しています。