琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編その1

前回までに琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において女性が文字が読めずに学問と無縁な件について記述しました。予定よりも長編になってしまいましたが、この件は琉球・沖縄の歴史を考察する上で極めて重要とブログ主は確信しています。現代の歴史家がこの点について冷淡なのは正直解せませんが、文句を言ってもしょうがないので調子に乗って今回の記事をアップします。

以前に女性が文字が読めずに学問の世界から遠ざけられた結果、伝統主義的な思考から抜け出すことができない件の典型例として、ハジチ(手の甲への入れ墨)の慣習を取り上げました。今回は番外編として当時の社会で(もしかすると現代でも)深刻な問題であったユタの件を取り上げます。

ユタに関して学術的に研究したのはおそらく伊波普猷先生が初めてでしょう。歴史的に有名な「ユタの歴史的研究」の論文や「琉球女性史」にもユタに関する記述があります。伊波先生の「琉球女性史」によるとユタとは

何れの宗教にも神秘的の分子は含まれているが、沖縄の民族的宗教にも亦それが含まれている。古くは神人即ちコデは神秘的な力を持っていて、神託(琉球の古語ではミスズリまたはミセセルという)を宣託する者と信じられていたが、後にはそういう力を持たない名ばかりの神人も出るようになったから、それに代わって神託を宣傳する連中が出るようになり、とうとう之を以て職業とする迄になったのである。 

これが即ちトキ又はユタと称するもので、後には生霊、死霊の口寄(死者の魂を招き、己が口を借りて、其の意を述べることで、沖縄ではこれをカカイモンといっている。日本上古の神懸りのようなものである)をも兼ねるようになった。こういうように、神の霊又は生霊・死霊に身を憑らしめて、言出することを沖縄語ではウヂィシュンというのである。 

これで見ると、ユタという語はユンタ(しゃべるということで、八重山の方言では歌ということになる)という語から来たかもしれない。それともユタが神託を語る時、身体がひどく動揺する所から見ると、ユタミチュン(動揺する)という語から来たかもしれない。(琉球女性史、古琉球に於ける女子の位地、民族的宗教と巫覡より抜粋) 

とあります。当時の琉球王国において神女(ノロ)は王府からの任命制で、正式に辞令書を交付しないとノロの職を継承できない仕組みでした。聞得大君を中心とした神女組織のことを伊波先生は「民族的宗教」と定義していますが、ユタは王府の神女組織とは独立した存在で、地域社会に対する影響力は圧倒的なものがありました。

ユタが圧倒的な影響力を持つに至った理由として、伊波先生は1609年(慶長14)の薩摩入り後の社会の変化、具体的には神女の権威の低下を挙げています。その説の真偽はさておき17世紀中盤になるとユタの跳梁跋扈に対して王府側も何らかの対策を取らざるを得なくなります。(続く)

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