1913年(大正2)のユタ裁判 その10

今回はなぜユタを信じるか(友寄隆静著、月間沖縄社)をベースに、ブログ主が当時の琉球新報に記載された記事もチェックして計4回の公判を掲載しました。

この裁判の特徴は、大衆マスコミを通してユタの問題を表沙汰にしたことです。ユタは「看板のない商売」の異名通りに、その存在は社会の裏面にあります。そのため権力側が摘発、処罰することはあっても、またこれまでマスコミ上でもユタ摘発のニュースは掲載されることはあっても、今回の裁判のように社会全体にものすごいインパクトを与えたことはありませんでした。

この裁判中に琉球新報は反ユタキャンペーンを展開します。「ユタは精神の害毒」なんて物騒な表現でユタ行為を批判したり、仲地カマドさんを弁護した前島清三郎氏に対する批判記事も掲載しています。ただし単なる反ユタキャンペーンだけでなく、伊波普猷先生の歴史的コラムである「ユタの歴史的研究」を掲載したり、後日仲地カマドさんの独占インタビュー(ユタ問題の裏の裏、計3回)を掲載したりと、一定のバランスを取っていることも見逃せません。

単なる一方的な批判だけでなく、明らかに読者に考えて欲しい意向がある紙面になっていることは、当時の琉球新報が大衆マスコミとして成熟してきたことを物語っています。実際にこの問題を取り上げてから琉球新報社には読者からの投稿が大量に寄せられたとのことです。この事件後もユタは存在し続けますが、当時の沖縄県人がユタに対して自分の意見を持つキッカケになった出来事として大きな意義があったとブログ主は思います。

最後にこの事件は時代を彩った女たち(外間米子監修、琉球新報社)でも宮城晴美さん執筆で取り上げられています。掲載内容の一部を取り上げますが、

沖縄人が日本人としての自覚を持つようにと、明治時代後半から、教育者や為政者たちが「風俗改良運動」を推し進め、天皇を中心とする国家主義思想を浸透させるために沖縄固有の精神土壌の壊滅に取り掛かっている時であった。”ユタ征伐”もその一環と思われるもので、カマドの対決の相手は、むしろ国家権力であったのかもしれない。 

それにしても、新聞のユタたたきにはすざまじいものがあった。警察とがっぷり組み、ユタを排斥する手段としてこの裁判の模様を伝えているのだが、実のところユタ排斥に名を借りて、日本との同化思想を県民に植え付ける役割を新聞社が担っていたからにほかならない。(時代を彩った女たち、仲地カマド編) 

とヤマトとの同化政策の一環で、仲地カマドさんはその政策に対抗するヒロイン的な捉え方をしています。ただしブログ主が当時の記事や友寄氏の現代語訳の公判内容を確認した限りでは、どう見てもユタと思われる仲間での醜い内輪もめにしか見えません。とても国家主義に対するヒロインには見えませんが、このブログを参照にしている読者はどのように思われたのでしょうか。(終わり)

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