あいろむノート – 方言札(3)

(続き)今回は方言札に絡んで、大雑把ではありますが、昭和15年(1940)1月に勃発した「方言論争」について言及します。ただし、ブログ主が蒐集した史料を基に、方言論争の流れについてのみ簡潔に説明します。

方言論争に関する史料をチェックして印象的なのが、(ブログ主がチェックした時点で)事件を正確に記述した通史が少ない点です。そのため、昭和15年(1940)1月の新聞(琉球新報・沖縄日報)と吉田嗣延氏の証言を参照して、ブログ主なりに事件の流れを整理すると以下のようになります。

・昭和15年(1940)1月、県学務部の招待で柳宗悦氏らの一行が来沖、同月七日に那覇市公会堂で沖縄観光協会と郷土協会主催の座談会が開催された。目的は沖縄観光振興について県内外の識者による意見交換会であった。

・(新聞報道によると)柳氏、水澤澄夫氏(国際観光局)、井上升三氏(国際観光協会)、式場隆三郎氏の順で沖縄観光についての提言があり、其の際式場氏から方言の保存について言及、さらに保田、浅野、佐々倉、濱田氏ら県外識者からの意見発表の後、県からの出席者である山内警察部長が以下の意見を述べたことで論争が起こる(引用史料は原文のまま掲載)。

山内 方言の話もあつたが、こちらの方言〔を〕保存するといふ事は別に〔反對〕ではないが一般的に通用する言葉として縣としては徹底的に標準語〔の〕勵行をやつてゐるこれは趣味や文化的な意味合いとは別に縣の大方針〔で〕外部の人が何〔を〕いはれ〔ても〕標準語は徹底的に勵行させる主義である墓地の問題についてもそうで今〔ある〕墓〔は〕どこまでも維持〔し〕ていきたい考へだが、只だ縣外からひよつくりやつてき〔た〕觀光的に讃めて貰ふだけでなく深く考へて戴きたい〔と〕思ふ、つまり、墓の改善は〔縣民〕の保健衛生、住宅問題と密接に結びついてゐるので、墓地の改善なしには考へられない。(昭和15年1月8日付沖縄日報3面より)

山内氏(警察部長) 私は風致保存に對しては大部分賛成である、道路網も近く完成するだらうと思ふ、然し標準語の問題であるが、方言は日本全國どこへ行つても保存することも必要であるが、本縣は標準語が一般的な言葉として徹底してゐないので、縣の大方針として奬勵してゐる、墓の問題も現在あるものを壞す意志はないが、それよりも保健衛生、住宅の改善が先決問題だと思ふ(昭和15年1月8日付琉球新報3面より)

・山内警察部長は、県外識者の意見を理解した上で、沖縄の特殊事情により県庁は標準語励行を行なっている旨説明も、これに対して柳氏からは以下の意見が述べられて議論が白熱、最後は志喜屋孝信氏がうまくまとめて閉会(同じく、引用史料は原文のまま掲載)。

柳氏 標準語を使ふ事に反對ではないが、それがために琉球の言葉をおろそかにしてはならない、各地をしてしてみて知つてゐるがこゝの縣ぐらひ標準語をうまくこなす處はない、青森や岩手の如きは先生〔や〕生徒〔も〕地方語を使つてゐる。つまり標準語を奬勵するの余り、地方語をおろそかにする氣風があつてはいけないと思ふ、尚ほ又將來日本語を決定する塲合になつて琉球語が重要な示唆を與へぬとも限らない(昭和15年1月8日付沖縄日報3面より)

これに對し柳氏は標準語を使ふのは反對でないが琉球の言葉をおろそかにする必要はない、ここの方言は將來の日本語の標準語を決めるに大に参考になると思ふ、と本縣の言葉の保存を强調、最後に濱田氏より〇〇の風致、明治橋の設計、首里城、世持橋等の保存、パンフレット、〇〇書、民謡レコードに對し種々注意があり、歸京後ラヂオまたは映畫を通じ紹介すると述べ最後に志喜屋(孝信)氏より標準語問題に關し沖繩は文化的レベルが他縣に比しおとつてゐるから柳氏の趣旨にも副ひつヽ努力する積りであると結論して午後六時〇〇裡に散會した(昭和15年1月8日付琉球新報3面より)

・座談会の様子が沖縄3紙(沖縄日報、沖縄朝日新聞、琉球新報)に報じられると、大きな反響があり、「昭和の沖縄」(琉球新報社会部編)によると同月10日の「沖縄朝日新聞」に吉田嗣延氏の「愛玩県」と題する柳氏への反論が掲載される。(※ただし、吉田氏の証言によると “反論文” は琉球新報と沖縄日報の記者に渡したとあり。そしてこの反論文は現時点ではまた確認できていない)

※「ただし、吉田氏の証言によると “反論文” は琉球新報と沖縄日報の記者に渡したとあり。」この部分の記述は誤りであり、正確には「吉田氏の証言によると “反論文” は沖縄朝日新聞(与儀清三)と沖縄日報(城間栄得)に渡したとあり。)になります。(令和06年02月11日訂正)

・同月11日付「沖縄日報」に「標準語勵行は擧縣的運動」と題し、県学務部から公式声明が掲載される(史料確認済)。

・同月14日付「沖縄日報」に「敢て沖繩縣學務課部に答ふ」と題し、柳宗悦氏による反論文が掲載される(史料確認済)。

・同月16日付「沖縄日報」に「柳氏に與ふ」と題し、吉田嗣延氏の私見が掲載される。柳氏の反論文の中で吉田氏が名指しで登場したからである(史料確認済)。

・その後、双方から公開討論の申し出があったが、結局実現せずに柳氏は帰郷。だがしかし、沖縄での論争がなぜか本土マスコミにも飛び火し、杉山平助氏と柳氏が論争を展開。(杉山氏の論説は「沖縄日報」に掲載され、現在チェック中)。

話が少し長くなりましたので、今回はここまでにして、次回はブログ主の「方言論争」についての解釈を紹介します(続く)

 

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