とあるFacebookの投稿に対して思ったこと その4

badge

前回の記事で日清戦争後の結果、残念な日本人の態度に沖縄県人(とくに知識人たち)の顰蹙を買った件を掲載しました。もちろん内地人の目に余る態度は日清戦争前からもあったでしょうが、戦争の勝利に浮かれた一部日本人が調子に乗り過ぎたことは否定できません。

この後に沖縄一中ストライキや公同会事件という異常な事態が起こるのですが、いちいち説明するとすごく時間がかかるため、後日記事にします。当時の沖縄県人たちは内地人(他府県出身者)に対して一種の被差別感を持っていました。実はこの時初めて被差別意識から生じる劣等感を何とかしたいとの発想が生まれるのですが、当時の知識人たちは日本人になることで被差別意識を克服しようと考えます。

ブログ主の仮説ですが、つまりこういうことです。

「廃藩置県において、明治政府は日本と琉球は同一であると主張した。その結果琉球王国から沖縄県に鞍替えするも、実態は内地人(他府県出身者)が政治や経済を牛耳っているではないか(怒)。なぜそのような状態になったかを考えると日本人は内心では琉球人は日本人ではないと考えているからだ。では日本人と沖縄県人との間にある塹壕(この表現は伊波普猷氏がよく使います)を埋めるには、我々が積極的に日本に同化することで日本人の頭から琉球人の観念を取り除く外ない。」 

上記の発想は公同会の請願書や趣意書からハッキリ確認できます。そのための手段として尚家を長司(世襲の沖縄県知事)に任命して、特別制度の下いっきに日本人との同化を進めようというのが公同会の目的でしたが、日本政府によって秒速で却下されます。その後は教育を普及させて徐々に日本人との同化を図ることになります。

ちなみにアメリカ軍の占領行政時代(1945~1972)における当時の沖縄の人たちの考え(仮説)は下記の通り。

「我々は1879年(明治12)の廃藩置県後に日本人として生きることを選択した。先の大東亜戦争においても日本人として戦った。負けたのはしょうがないし、戦争で大きな被害にあったのは我々だけではない。ただし我々をアメリカに売ったことだけは許せない。敗戦のツケを押し付けすぎじゃないのか(怒)。本土に復帰させろ、戦争によって奪われた土地を返せ。」 

になります。その後日本政府は沖縄の行政権を取り戻すことには成功しましたが、戦争で奪われた土地を戻すことはまだできません。これが基地問題の本質です。当時の沖縄の人たちは、これらの望みが達成されることで、自分たちの抱えている被差別意識からくる劣等感から逃れることができると信じていたのです。

ちなみに現代の独立派の願望はブログ主が思うにはこんな感じです。

「琉球は薩摩の侵略以来400年間ずっと差別されてきた。日本国の行政下では今後も差別が続くだろうし、我々の抱える劣等感も解消されない。いっそのこと独立しちゃえ。そうすれば被差別意識から解放され、琉球人は真の独立した民族として存在することができる。」 

上記の望みが叶えば、本当に真の独立した民族になるのかどうかは不明ですが、琉球独立を主張する人たちは本気でこのように考えてる節があります。ぶっちゃけて言えば「まずは独立しよう!話はそれからだ」になります。こういう発想をする人たちとはハッキリ言ってブログ主の知力ではコミュニケーションが成り立ちませんので、残念ながら彼らの主張を生暖かく見守るしか方法がありません。(終わり)

*今回のテーマはいったん締めて、次回からは公同会事件(1896~1897)について連載します。この事件の考察は被差別意識からの解放の概念を考える上で極めて重要だからです。

にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ
にほんブログ村

SNSでもご購読できます。

コメント

  1. i より:

    あなたたちは自ら日本国民に復帰を望んだのに
    「2万人」の他県出身者を無差別に敵視して沖縄人の「職、土地を奪」う存在として追い出す相談をしているのですか?
    https://twitter.com/ppuripha/status/621294377374068736

  2. i より:

    沖縄の人たちは自分から望んで日本国民に復帰したのに、「2万人」の他県出身者を「ウチナーンチュの職と土地を奪う」者として排除しろと言っているのですか?
    https://twitter.com/ppuripha/status/621294377374068736

コメントは停止中です。