突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – やべーじじい発見

今回は沖縄ヤクザ関連の史料をチェックしているうちに発見した “カジマヤー” の記事を紹介します。昭和37(1962)年10月5日の琉球新報夕刊に前里宗快さん(97)のカジマヤーを祝う記事が掲載されていました。すごくいい話ですが、少しひっかかった部分があったので記事の一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。

*カジマヤー:数え年97歳のときに行われる長寿祝いで、旧暦9月7日に盛大に催されるのか慣例です。

きょう “かじまやー” を祝う

那覇市をパレード /  琉装片かしらの前里翁

きょう五日は旧暦の九月七日。カジマヤーを寿ぐ全琉的な祝日、各地で九十七歳のおじいさん、おばあさんが、生涯で最良の日を迎えた。カジマヤーとは四つ角のこと、同時の●土玩具の一つである風車という意味もふくまれている。つまり、九十七年の人生でいくつものカジマヤー(試練)を経たあと、童心にかえって風車をかざして遊ぶ。これがカジマヤーの祝いの由来だそうだ。

〇…北部では名護の岸本金吉さん、今帰仁の嘉陽ウシさん、久田ムタさん、羽地の宮平マカさん、中部ではコザの照屋ナベさん、平安座の佐喜カメさん、読谷の野原カマドさんら七人がそれぞれ九十七歳のカジマヤーと白寿の九十九歳を迎え、町や村をあげてのお祝いでにぎわった。

〇…那覇では牧志町一の八〇五の前里宗快さんという名のとおりさわやかな宗快タンメーが午前十時からオープンカーに乗って市内をパレードした。(中略)

長寿の市民を地方自治体が祝福する素晴らしいイベントですが、この後の記述はちょっと突っ込みたい気分になります。

〇…水色の麻地の着物のウフワービ(大帯)という琉装、昔風の片かしらで

毎あさトルコ風呂に通うじいさんは

那覇の町でも名物男のひとり、晴れの日を迎えて、子や孫、ひ孫など三十余人が仏壇の前にあつまり、赤飯に七つの風車を立てて祝った。まずじいさんの音頭で、

「きょうぬカジマヤーや風切りてみぐる。わんやトシ連りて遊ぶうりしゃ」

とカジマヤーの祝歌を歌いながら三度座敷を回った。(中略)

引用:昭和37(1962)年10月5日付琉球新報夕刊3面

ブログ主は沖縄にソープランド(旧トルコ風呂)がお目見えしたのは復帰の年(昭和47年)と記憶しています。上記引用の “トルコ風呂” がいかなる風呂なのか、アメリカ世の沖縄に “ハンマーム(性風俗ではないトルコ風呂)” があったのか、まったく情報がないのでこのじいさんがいかなる風呂に通い詰めていたのがすごく気になるところです。

なおエロジジイが長生きするのは世の常で、我が沖縄にも宮城嗣吉さんという好例がいます。宗快タンメーもおそらく「こころがいきる(性)」よう毎朝トルコ風呂でリフレッシュしていたのかもしれません。(おわり)