サンフランシスコ講和条約批准に対する瀬長亀次郎氏のコメント

今回は昭和27年(1952年)4月28日、サンフランシスコ講和条約批准の日における瀬長亀次郎氏のコメントを掲載します。不屈さんこと瀬長亀次郎氏関連の史料をチェックして印象的なのは、威勢の良い発言の場合には決まって何か”ウラ”を感じることです。そして今回の平和条約に対する瀬長さんのコメントや当時の新聞を参照すると面白いことに気が付きました。瀬長さんのコメント全文を書き写しましたので読者の皆さん、是非ご参照ください。

復帰に三つの道 – 平和條約三條撤廃等

立法院議員 瀬長亀次郎氏(人民)

民族の独立と平和と自由をかちとるために、日本国民はいま血みどろの斗いをつゞけている。琉球人民をも含めて日本民族はきようの平和条約発効日にそれぞれの決意を固めていることだろう。いわゆる”和解と信頼”のこの平和条約が文字通り平和をもたらすものであるかどうか?

日本民族が邪剣を帯びさせられて、再び「アジア民族十億の敵」となつて立ち向かうのではないかどうか?

この解答は、働く階級の団結の力のみが的確にして迅速に用意し得るだろう。

日本民族の一部でありながら、第二次世界大戦最後の戦場になつたばかりに、過去六か年間、我が琉球は日本民族とあらゆる面で絶ち切られている。

切断されたこの民族の”つながり”をもと通りにすべく、われわれは日本復帰運動に人民と共に参加したのである。日本復帰の熱望はとりもなおさず信託統治反対を意味する。外国の統治下におかれることは、その「ナマエ」が如何に近代的味覚をそそるような代物であろうが、所謂植民地化であるので、人民はそれをダカツの如くきらつている、だからこそ、サンフランシスコ会議前後のように信託統治賛成論や琉球独立論の如き衆愚論はも早この島で横行活歩する自由を失つているのだ。

なにはともあれ、われわれの琉球がアメリカの信託統治下におかれることなく、即時日本に復帰し、日本民族としての誇りを持ち、完全独立と平和と自由をかちとらんと苦斗している事実は、何人もこれをいなむことは出来ない。

祖国日本に復帰するためにわれわれは先ず

一、平和条約第三条撤廃運動の先頭に立つことである

二、言論、集会、結社、出版、信教、思想の自由を確保することである。

三、労働者の団結権、団体交渉権、罷業権の確立と、街頭示威運動の自由をたゝかいとることである。

即ちわが琉球が植民地にならぬように全精力を結集して活動することである。労務者階級の生活の安定ほろび行く農漁民や中小商工業者の死活問題激増する失業者や税金の問題等々……その解決のかぎは実に反植民地斗争の中に求められるからである。琉球人民を愛し、日本に復帰することによつてのみ人民の幸福が得られることを信じているあらゆる階層の力を組織し、われわれはこの島の反植民地斗争の先頭に立つて斗うことを対日平和条約発効の今日、全日本の人民に誓うものである。

引用:1952年4月28日付琉球新報

人民党の闘士らしい勇ましい発言ですが、細かくチェックすると米国民政府に気を使っていることがわかります。昭和27年当時は群島知事選挙が開催された昭和25年(1950年)と比べて”日本復帰”を唱えること自体はタブー視されていませんでした。即時復帰か時期尚早かで意見の対立はありましたが、社会の大勢は祖国復帰を希望しており、米国民政府側も言論の範囲であれば特に問題視していません。この点は瀬長さんが社長を務めたうるま新報時代と大きくことなります。

タイミング的に”祖国復帰”を唱えても問題ないと判断し、なおかつ米国民政府の機嫌を損ねないように注意深く”沖縄”の単語を使用していない所が一番のポイントです。うるま新報社の社長時代に米国軍政府(および沖縄民政府)の統制を受けながら新聞を発行した経験のある瀬長さんならではのセンスで、人民党員を満足させつつ、米国民政府を怒らせて琉球政府に迷惑をかけないよう”配慮”したあたりに当時の瀬長さんの微妙な立場を窺い知ることができます。

翌日の琉球新報の1面に琉球政府および琉球政府立法院名義で『祝講和条約発効』の広告が掲載されていました。その中に立法院議員として瀬長亀次郎さんの名前も掲載されています。

昭和27年(1952年)4月1日、琉球政府創立式典において瀬長さんは”宣誓拒否”をしたことで有名ですが、それならば上記広告への署名も拒否すればよかったのではと疑問に思うかもしれません。それが出来なかった理由として、ブログ主は記念式典の時の宣誓拒否が思いの外世間から顰蹙を買ってしまったからと推測します。

表では勇ましい発言を繰り返しても、裏ではちゃっかり妥協するあたり政治家としての”センス”を感じさせますが、そのことを公式の回顧録や書籍等で言及することはできない、常に強気の態度を維持しなければならない瀬長さんの苦悩は察して余りあります。よく考えるとオールタイム全方位で”不屈”を貫くことは肉体的にも精神的にも無理な訳で、そういうことが分らない人たち(あるいはわかっていて知らんぷりしている)が瀬長さんを必要以上に持ち上げているんだなと実感しつつ、今回の記事を終えます。

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