上原一家の解散声明

今回は昭和49(1974)年9月20日の集団リンチ事件に端を発した旭琉会と上原組の抗争(第四次沖縄抗争)に関連して、同年10月5日付琉球新報夕刊3面に上原組の解散に関する記事が掲載されていました。はっきり言って突っ込みどころ満載の内容でしたので記事全文を紹介します。

ちなみにこの解散声明から一カ月も経たないうちに上原組の組員たちが新城善史(沖縄連合旭琉会理事)を射殺します。その後の上原兄弟の無茶苦茶ぶりは後日改めて言及するとして、まずは上原組解散声明の記事をご参照ください。

旭琉会上原一家六十人が脱会

全員が正業につく / 集団リンチ事件が契機 / 解散声明を発表

組織暴力団「沖縄連合旭琉会」内部での集団リンチ事件で被害者多数を出したグループの一家全員が旭琉会を脱会して正業につくと声明文を発表、五日正式に一家を解散した。沖縄で暴力団が一家を解散するのは昨年暮れの旭琉会、山原派の大城グループに次いで二度目。一家の解散と旭琉会からの脱会を声明したのは旭琉会(山原派)理事、上原勇吉一家、構成員約六十名余。

一家の親分である那覇市首里桃原二の八、上原勇吉さん(四五)が先月三十日付で一家の幹部六人の連署で書いた一家の解散声明書を那覇署の村山署長に持ってきた。

声明書によると上原さんは三十七年の初めごろ沖縄市内を根城にする組織暴力団山原派に加わったのがヤクザ組織へ足を踏み入れる結果となり、すでに子分十人ぐらいを抱える中堅幹部にのし上がった。暴力団抗争があるたびに子分をひきつれて組の信用を得て四十五年十二月の旭琉会結成時には配下五十を持つ大幹部になり、同会の理事となった。

しかし、警察の暴力団取り締まりが厳しくなり、一般市民の暴力団をつぶすための住民運動ももり上がってきているおり今回のつまらない事件で子分が多数逮捕された。この事件で暴力団の組織につくづくいや気がさしてきた。

そして暴力団がいかに社会に害悪を流しているかに気づいたという。

上原さんは「これまで暴力団の大幹部として子分をひきつれ、いろいろな事件を起こし、善良な市民に大変迷惑をかけてきたことを深く反省しています」と恥じ、

「一家を解散して今後はいかなる暴力団にも加入せず、全員が正業について更正したい」と誓っている。

これに対し村山那覇署長は「県民の協力を得て取り締まりを強化した結果だ」と一家の解散を喜んでいる。

偽装解散も考えられ、

また、旭琉会から脱会したものへのリンチ事件も考えられるため「上原一家の今後を厳しく監視する一方、個々の暴力事件にも取り締まりをさらに強化したい」と述べた。

引用元:昭和49(1974)年10月05日付琉球新報夕刊3面

最初この記事を読んだときの感想ですが、ブログ主は

沖縄県立図書館で笑い死にそうになりました。

この偽装解散声明をはじめ、第四次沖縄抗争における上原勇吉・秀吉兄弟の言動は、結果として沖縄県警、旭琉会、地方自治体および行政など全方位を敵に回すことになります。ハッキリ言って上原兄弟は “沖縄ヤクザの歴史における傑出したお馬鹿” と断言できますし、だからこそあれ程の大規模な抗争を引き起こしたんだなと実感したブログ主であります。

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