古琉球の深淵 – おぎやかの謎(3)

(続き)尚円王妃である彼女はりうきう・おきなわの歴史において特別な存在です。その理由のひとつが「おぎやか」の名称で、ブログ主が知る限り “童名(わらびなー)” で呼ばれてきた歴史的人物は彼女一人だけです。

それともう一つ彼女の童名ですが、可能な限り同時代あるいは近い時代の人物の名前をチェックしてみましたが、「神の血縁者」なんて大それた名称が付いた人物は一人もいません。

東恩納寛惇先生の論文『琉球人名考』の中に童名に関する項目があり、それに目を通すと童名にはある一定の法則があることがわかります。例えば思〇〇金とか真〇〇金と前後に敬称が付いている場合は貴族(王家・王族)であり、〇〇金など接尾辞に敬称が用いられる場合は士族で、もちろん敬称がない場合は平民です。

一例をあげると、彼女と同世代を生きた人物では尚真王が “眞加戸樽金” その長男である尚維衡は “思徳金” です。(参考までに尚真王妹は “音智殿茂金(うとぅちどぅぬむいがに)” で一見すると士族の童名がつけられているのが極めて興味深いのですが、これは例外です)

ここまで説明すれば「おぎやか」の童名がいかに “異質” かが理解できたはずです。

彼女が本当に神の血縁者かどうかは今となっては確認する術はありませんが、確実に言えるのは、彼女が「大美御前加那志」の名前にふさわしい絶世の美女だった可能性が極めて高い点です。その理由は以下の写真を比較すればお分かりかと思われます。

Wikipedia から共有した尚円王と尚真王の肖像画です。

King Sho En.jpg
向元湖 – 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる

King Sho Shin.jpg
向元湖 – 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる

おわかりでしょうか。尚円王は肖像画から大顔で猫背、梟顔のぶ男として描かれています(もしかしたらもっと醜い容姿だったかもしれません)。それに対して尚真王は丸目の愛嬌ある、しかも背筋もシャンとした凛々しい人物として描かれています。

この肖像画だけで判断するのは早計かもしれませんが、明らかに親子で輪郭と骨格が違います。少なくとも尚真王の愛嬌ある表情は母親の遺伝子を強く受け継いでいることは間違いなく、それゆえに彼女も当時基準(もしかしたら現代でも)絶世の美女だったと考えられるのです。

つまり彼女は「父母不傳」と記載されていますが、少なくとも三十三君(高級神女の総称)クラスの出身で、そして誰もが認めざるを得ない容姿の持ち主だったことは疑いの余地がありません。しかも

“神の力” をもって我が子尚真王を美男として産み落とした(らしい)

驚くべき人物なのです。だからこそ彼女に「世添」とか「おぎやか」などの特別な名称が使われたのかもしれません。

次回はそんなおぎやかさんに目をつけられて王位を追放された気の毒な王族について言及します(つづく)。

古琉球の深淵 – おぎやかの謎(2)

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