女子教育と本縣 – その1

今回は明治33年(1900年)7月1日、沖縄高等女学校開校式における太田朝敷先生の演説『女子教育と本県』の全文を掲載します。正確には同年7月3日の琉球新報に掲載された前半部と、7月5日に掲載された後半部に分けています。琉球新報の原文は旧漢字かつ句読点がついていないため、試みにブログ主にて訂正した部分と、原文書き写しをアップしました。太田先生を語るうえで必ずと言っていいほど出てくる「クシャミ発言」は後半部にあります。まずは前半部をご参照ください。

● 女子教育と本県

左は一昨日高等女学校開校式の席における演説にして、余が本県女子教育に対する意見の一班なり(天南生)

私は三年ばかり外に出て居りましてつい近頃帰って参りましたが、さて三年以前の沖縄と今日の沖縄と比較対象して見ますると喜ぶべき事柄は随分ありますが、就中(なかんずぐ)女子教育の進歩の如きは私の尤も喜ぶに堪へぬ事でございます。只今小川会長が御述べになりました通り各国の統計を見ても最も開けたる国、最も強い国は必ず女子教育が盛んなる所でございます。又万国進化の状態に照して見ましても女子の教育と云ふものは最後に起った現象でございまして、女子教育と文明とは至大の関係を有して居るものでございます。

偖て(さて)文明と申しますものは一つ二つの事柄に就て下したる名ではなく社会のあらゆる事柄を総合して下したる名であります。本県抔(など)も置県以来、置県で取扱ふ所の政治も文明の政治で諸学校で教ゆる所も文明の教育でその他銀行もあれば会社もありこれ等も皆文明流に組織されたものでありますが、これ等一局部の進歩を以て沖縄の社会が文明の社会であるとは云へない。銘々の家庭に立入りて見れば殆んど旧沖縄と大差ない様に思はれます。誠に残念な次第でございます。

単に個人として人を仕立てるのと社会中の一個人として人を仕立てるのは自ら趣きを異にしなければなりませぬ。別に他と関係がなければ只一身を静養するを以て事は足りる次第ですけれども、社会の一分子として立つ時はその関係する所自ら繁雑になります。人は個人を以て社会の根本と致しますけれども、わたしは一家を以て社会の根本と致す方〔が〕適当ではあるまいかと存じます。人が自他の関係を生ずるのは最初は家族間からして、それより漸次社会に及ぼすもので、若し家毎に平穏なる温雅なる家庭となりますれば、自然平穏温雅の社会が出来る勘定になります。さすれば文明の光も家庭より発するものでなければ、真正の光ではありませぬ。而して女子は家庭の主宰者であります。女子の手でなければ決して純良の家庭を作ることは出来ません。されば光輝ある家庭を作らんとすれば純良の婦人を作るが唯一の方法でございます。純良の婦人を作るは女子教育を盛んならしむるの外道はない。本県抔(など)が局部々々にては進歩したる事柄があっても、その割合に家庭が進歩しないのは、これ専ら女子教育不進歩の結果でございます。(以下次号)

● 女子教育と本縣(承前)-  原文書き写し

左は一昨日高等女學校開校式の席に於ける演説にして余が本縣女子教育に對する意見の一班なり(天南生)

私は三年ばかり外に出て居りましてつい近頃歸つて参りましたがさて三年以前の沖繩と今日の沖繩を比較對照して見ますると喜ぶへき事柄は随分ありますが就中女子教育の進歩の如きは私の尤も喜ぶに堪へぬ事でございます只今小川會長が御述になりました通り各國の統計を見ても最も開けたる國最も强い國は必ず女子敎育が盛んなる所でございます又万國進化の狀態に照して見ましても女子の教育と云ふものは最後に起つた現象でございまして女子教育と文明とは至大の關係を有して居るものでございます

偖て文明と申しますものは一つ二つの事柄に就て下したる名でなく社會のあらゆる事柄を綜合して下したる名であります本縣抔も置縣以來縣廰で取扱ふ所の政治も文明の政治で諸學校で敎ゆる所も文明の教育でその他銀行もあれば會社もありこれ等一局部の進歩を以て沖繩の社會が文明の社會であると云へない銘々の家庭に立入りて見れば殆んど舊沖繩と大差はない様に思はれます誠に残念な次第でございます

單に個人として人を仕立てるのは自ら趣きを異にしなければなりませぬ別に他と關係がなければ只一身を靜養するを以て事は足りる次第ですけれども社會の一分子として立つ時はその關係する所自ら繁雑になります人は個人を以て社會の根本と致しますけれども私は一家を以て社會の根本と致す方適當ではあるまいかと存じます人が自他の關係を生ずるのは最初は家族間からしてそれより漸次社會に及ぼすもので若し家毎に平隱なる温雅なる家庭となりますれば自然平隱温雅の社會が出來る勘定になりますさすれば文明の光も家庭より發するものでなければ眞正の光ではありませぬ而して女子は家庭の主宰者であります女子の手でなければ決して純良の家庭を作ることは出來ませんされば光輝ある家庭を作らんとすれば純良の婦人を作るは女子教育を盛んならしむるの外道はない本縣抔が局部々々にては進歩したる事柄があつてもその割合に家庭が進歩しないのはこれ專ら女子敎育不進歩の結果でございます(以下次號)

● 明治33年(1900年)7月3日 – 琉球新報2面

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