小学生マウント

今月26日付沖縄タイムス30面に “民主主義 本土に問う / 「大弦小弦」で紹介 反響相次ぐ” と題した記事が掲載されていました。その数日前のツイッターで小学生の作文が公開されていましたが、その全文を再掲載した形です。

渦中の小学生の作文を要約すると、沖縄には2つの大きな問題を抱えていて、それに対処できない日本政府のふがいなさを批判し、本当に沖縄では民主主義が守られているかを問いています。ためしに全文を書き写しましたので読者のみなさん、是非ご参照ください。

僕は沖縄で生まれ育った。沖縄には、僕が生まれるずっと前の75年前から続いている問題がある。僕はその問題を大きく分けて2つ、多くの人に知ってほしい。

1つ目は「新基地建設問題」である。その場所は辺野古にある大浦湾であり、そこは、様々な環境が複雑に入り組み「生き物の宝庫」と言われている。森や川にはリュウキュウイノシシや県の天然記念物イボイモリ、絶滅危惧種のジュゴンの生息地域でもある。

マングローブ林は東村の慶佐次に次ぐ規模で、ハゼや貝、カニが多く生息している。そこは潮が引くと干潟となり、カニの大群が現れる。海水からこし取られたプランクトンが、カニや貝の餌になり分解される。だから、干潟は自然の浄化槽と言われている。

このような生物多様性の重要地点である大浦湾に基地建設をすると、無数の命が土砂の中に埋められ、死んでしまう。

この現状を止めようと、基地の前に座り込み「やめて」と言う。その人達を警察が取り押えたり、また、その人達の様子を誰かがネット上で拡散している。

僕はおかしいと思う。現地に住む人達にとって、基地ができると、公害や騒音被害、健康的で安心できる生活が脅かされる事は、他の嘉手納や普天間を見ていても明らかなのに、なぜ国は、力ずくで基地建設を押し進めていくのか。

日本は民主主義の国である。と社会科で学んだ。なぜ沖縄県では民主主義が守られないのか。県民東京で反対が多く、知事も反対と言っているのに日本政府は聞き入れてくれない。その理由はなぜだろう。大浦湾の自然は一度失うともう元には戻らない。なぜそこまでして、沖縄に基地を造りたいのか。他の46都道府県でも、政府は沖縄県と同様なことができるのだろうか。僕はわからない。

2つ目は「人権と環境問題」です。以前、女性が、夕方ウォーキングをしていたら車で連れさらわれ、殺害されました。また、小学校の運動場に、ヘリの窓わくが落ちてきたり、保育園の屋根にもヘリの部分が落下しています。また、分解できないPFAS,PFOAなどの化学物質が基地内から出て、公園や川に流れ広まった時には、米軍の人達が処理せず、沖縄県消防署員が作業しています。なぜ、このような危険な化学物質を沖縄県での使用が認められているのか。

実際に、嘉手納基地周辺の民家地下水から、指針値の60倍に当たる3000ナノグラム(1㍑あたり)、普天間飛行場周辺では、2000ナノグラムと、いずれも環境省の定める暫定指針値、50ナノグラムを軽々と越えています。

なぜ、環境省は米軍に使用を停止するよう働きかけないのか。なぜ沖縄で日常的に起きているこのような大事件を、本土のテレビや新聞は、大きく取り上げてくれないのだろうか。国連が2030年までに達成を目指している、SDGsの6番、安全な水と10番、国家間の不平等を是正する、を政府は、真剣に沖縄県民の命を守ってくれるのだろうか。

ぼくは、本土の人達に沖縄の現状を知ってほしいのです。そして、日本本土と同じ様に、安全な水や夜中にヘリコプターのゆれるような音のしない、静かな夜を過ごしたいです。

今回ブログ主がこの作文に興味を覚えたのは、沖縄タイムスの編集部が読者の目に留まりやすい場所に記事を配置したことです。つまり小学生の作文をつかって “世論を誘導したい意図がみえみえ” で、その点に不快を覚える読者がいることを想定していないのです。

実は小中学生の作文は使い勝手がよく前例があるのです。ブログ主がコピーした昭和15年の沖縄朝日新聞の「第二回皇軍慰問號」に掲載されている小学生の作文もすごく出来がよく、読者が反論しにくい内容です。その中のひとつを紹介しますので是非ご参照ください。

戰地の勇士へ甲辰尋常小學校六年 古堅宗徹

兵隊さん、お元氣ですか。僕等銃後の國民も皆元氣で、兵隊さんに御心配かけない様に銃後を護つてゐますから、御安心して戰つて早く蔣介石の惡い政府をたゝきつぶして下さい。そして汪さんの立てていらつしやるよい政府と手を取つて東洋平和の土臺を築いて下さい。その後は僕等第一國民が受次いで新支那滿洲と手を取つて東洋平和を築きます。

今は歐洲でも獨逸、伊太利が盛に各國を相手に戰爭してゐます東洋と歐洲と陸續きですから戰亂が來ないとも限りません。僕等はきつと戰火を東洋に入れないやうにしやうと覺悟してゐます。

兵隊さんお喜び下さい。僕等が一錢二錢のわづかなお金もむだにしないで貯金してゐた報國貯金が全校で二千圓近くなつてゐます。梯梧の花さく五月も矢のやうに流れ颱風季節の八月になりました。この間颱風が全島をおそひましたが何んにも心配しないで下さい。

僕の家では去年まですててゐた包さう紙をすてない様にしてゐます。それはお父さんが「今は我が國は支那と戰つてゐるんだからお前たちも一つよいことをしてごらん」とおつしやつたからです。

兵隊さんくれ〲もお体を大切にして下さい。僕等は遠い〱沖繩で武運長久を祈つてゐますでは左様なら。

主義主張は違えども、反論しにくい小学生の言論を前面に出して、世論を誘導しようとする大人は75年前も現代も同じです。実際に小学生くんの作文に批判・反論を試みたら「小学生に対してなんてことを」と顔を真っ赤にして怒る人達が出てきます。世間に対して己の正義を主張するのに小学生の言論を “楯” に使うのはハッキリいって感心できません。

琉球王朝以来、沖縄の、先輩方というのは、このような人を、

わーびちゅらーのうちくんじょー

上辺はいいが、秘めたる根性は “最悪”

と看做して例外なく “敬して遠ざけるの刑” に処せられます。そして沖縄タイムス内にそのような記者が存在することに対して少しの憐みを感じてしまうブログ主であります。