新聞と暦表記

政府は昨日(1日)11時40分ごろ平成に変わる新元号を正式に発表しました。ブログ主はニコニコ動画の生中継で菅義偉官房長官の記者会見の模様を見ていましたが、新元号「令和」に対して好意的なコメントが多かったのが印象的でした。従来のように中国の古典ではなく日本の古典(万葉集)からの出典が好意的に受け止められた感じです。

新元号の発表にともない、ブログ主も試しに沖縄の新聞における暦表記の変遷をチェックしたところ興味深い事実が確認できましたので簡単にまとめてみました。読者のみなさん是非ご参照ください。

明治時代の琉球新報の暦表記

現存する最古の琉球新報は明治27年(1894年)12月16日号ですが、当時は4枚編成で暦表記を確認すると、1面元号、2面が皇紀(2554年)、3面が西暦、4面が時憲暦(清暦光緒20年11月20日)となっています。清暦を表示していたあたりに当時の沖縄社会における頑固党の勢力の強さを実感すると共に、暦表記の順番に当時の新聞社の気概を感じることもできます。

ところが明治31年4月1日付の琉球新報を確認すると、4枚編成は変わらずも暦表記が1面が元号、2面が皇紀(2558年)、3面が西暦、4面が元号に変わっています。この事実は沖縄社会のおける頑固党の勢力が著しく衰えたことを暗示しています。その理由は日清戦争が日本の勝利で終わったことと、脱清人の帰国、そして何よりも王族(宜野湾王子尚寅、松山王子尚順)の断髪が頑固党に致命的なダメージを与えたと考えています。暦表記ひとつを見ても当時の沖縄社会の変遷が分かるところに歴史の面白さがあります。

大正および昭和時代の琉球新報の暦表記

大正時代の琉球新報を参照すると、ブログ主の手元にある25周年記念号(大正6年9月24日)の暦表記は元号で統一され、西暦も皇紀も表記されていません。いつから元号表記のみになったかは今のところ確認できませんが、昭和15年(1940年)12月18日の終刊まで琉球新報の暦表記は元号のみとなります。この事実は意外にも民間では皇紀があまり使われていなかったことを暗示しています。

ちなみに昭和15年8月25日付沖縄朝日新聞の特集号も元号表記のみですから、当時の沖縄社会は暦表記として元号が一般的に広く使われていたと考えられます。琉球王国時代は清国相手と薩摩(および日本)相手ではそれぞれの暦を使用してましたし、一般人がどのような暦を利用していたかはわかりませんので、大正時代になってようやく全沖縄で暦の使用が元号で統一されたと見てもいいかもしれません。

アメリカ世の時代

昭和20年(1945年)の沖縄戦の敗北後、我が沖縄は米国の統治下におかれます。その後発刊した琉球新報や沖縄タイムスの暦表記は西暦で統一されます。唯一の例外が「沖縄新民報」で暦表記を従来通りの元号を利用していました。この事実は当時の沖縄の支配者が誰なのかをこの上なく明示してます。そして新聞だけでなく公文書もすべて暦表記は西暦ですから、当時の住民は嫌でも世替わりを痛感したのではないでしょうか。

ちなみに琉球新報で元号表記が復活したのは昭和43年(1968年)1月13日からです。その理由については明確な史料は確認できませんでしたが、前日(1月12日)の夕刊に米国民政府の浦添移転と琉球政府庁舎ビルから星条旗が下された記事が掲載されていました。実は琉球政府庁舎ビルはアメリカ支配の象徴と見做されていました(理由は星条旗が掲げられていたのと、1~2階は琉球政府が、3~4階は米国民政府が使用していたことによる劣等感から)ので、米国民政府の移転によって世替わり(つまり本土復帰)が実現するかもしれないことを期待する意味で暦表記を変えたのではないかと推測しています。

復帰後から現在までの暦表記

昭和43年に元号表記が復活して以来、琉球新報は年号(西暦)のスタイルで暦を表記していました。ところが昭和54年(1979年)1月より西暦(元号)のスタイルに変更します。なぜ変更したかについての明確な史料は確認できませんでしたが、昨日の沖縄タイムスの〈大弦小弦〉を参照すると、元号法(昭和54年公布)に反対する意味合いからの表示変更かと考えられます。

ならば西暦のみ表示すればいいのではと思われるかもしれませんが、そうなると読者は嫌でもアメリカ世の時代を思い出すのでやむを得ず西暦(元号)の表示にしたと考えられます。この事実も当時の沖縄県民たちが本土復帰を高く評価していたことの傍証になります。

新元号の時代も沖縄のマスコミは西暦(元号)の表記スタイルを維持すると思われますが、そこはあまり気にする必要はありません。元号表記はもはや一般化していますし、新元号も現時点では好意的に受け止められています。元号に反対する勢力がいくら騒いでもマスコミの暦表記から元号は消えることはないとブログ主は判断しています。

余談ですが、琉球独立芸人のみなさんは独立後の暦表記について真剣に考えているのか気になります。もしも単に便利だからといって西暦に統一すると、それは琉球・沖縄の歴史からみるとアメリカ世の回帰と誤解される恐れがあります。独立芸人たちで新しい暦を公布するのか(例:独立○年)、それとも西暦のみで統一するか、一度聞いてみたいと思うブログ主であります。(終わり)

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