琉球の帰属

今回は、我が沖縄の先人たちが本土復帰についてどう考えていたかの記事を掲載します。アメリカ世の昭和26年(1951年)に、当時の沖縄タイムス一面に「琉球の帰属」という社説が掲載されました。執筆者は高嶺朝光さん、当時の心境は「新聞五十年」に掲載されているので、下記掲載します。

*復帰問題に対する本社の姿勢

(中略)1951年1月早々、私たち沖縄タイムスの復帰問題に対する態度を明確にするため役員会を開いた。「このさい、はっきり復帰を主張すべきではないか」と話しあい、「ばあいによっては米軍から弾圧をくうかも知れない。それを覚悟しておかなければならないが」と、私たちは予想される結果まで検討して「それでもよい」と全員一致で決定した。

 それから私が原稿を書き、全役員に回覧して多少の字句修正をしたうえ、2月3日に「琉球の帰属」という社説を掲載した。次はその趣旨である。(中略)(412~413㌻)

*首尾一貫した復帰主張

(中略)そのころの私は、復帰についてこう考えていた。別に日本が祖国だからとか、日本人が優れた民族だからという理由で帰りたいと思っていなかった。ただひたすらアメリカの軍事的支配下から一日も早く脱出したいと思ったのである。 

 それには二つの方法しかない。一つは独立であるが、どう考えてもそれは不可能である。そのころ東京のある先輩から「どうだ高嶺君、沖縄独立論をやらんか」と言われた、多分に冗談のつもりだったと思うが、「それだと、百年前に戻りますよ」と私は答えた。要するに、また”両属政治”になってしまうのが落ちである。

 たとえば砂糖、パインを取り上げてみても、日本に買ってもらうしかないのであるから、日本の経済的支配下に置かれるのは自明の理だ。経済のみならず、子弟の教育も日本に頼っている。それが現実である。 

 独立がダメなら、帰るより仕様がない。沖縄が生きる道は、それ以外にない。センチメンタルな気持ちではなく、冷厳に考えて帰らざるを得なかったのである。(417~418㌻)

1950年前後は復帰以外にも、独立論やアメリカ信託統治を唱える人たちも居ましたが、当時の住民の多数は祖国復帰を希望していたと思われます。事実昭和26年2月3日に掲載された社説「琉球の帰属」は大変な反響を呼びました。琉球・沖縄の現代史を語る上で貴重な論文ですので、読者のみなさん是非ご参照ください。

(注)社説は現代文と原文を同時に掲載します。理由は原文には旧漢字が使われているため現代人にも読みやすく訂正したことと、()は追加説明を、〔〕は欠落箇所をブログ主で補った部分になります。


琉球の帰属(現代文)

ダレス特使の日本訪問が日本に講和条約締結を急速に実現するための準備であることと、戦勝国たるアメリカが敗戦国たる日本に対し条約案の無条件受諾を押しつけるような態度を避けて対等の立場に於て日本側の希望に耳を傾けるという態度をとって居ることは日本国民に好印象を与えて居るようである。

勿論アメリカがそういう態度をとって居るからというて日本の言い分を全部受け入れるはずはない。アメリカの国策の線にそい得るもの又アメリカとして為し得る範囲のものしか容にん(容認)しないであろう。

日本の朝野は挙げて講和後の経済援助と国連による安全保障の確にん(確認)と琉球、小笠原、千島の返還等を要求し、吉田首相からダレス特使に希望を伝えたと得られて居る。その中で琉球住民にとって最大の関心事となって居るのはわが琉球諸島の帰属問題である。

自分らの政治的運命が決定されるのに無関心で居られるものは一人として居ないはずである。今まで沈黙して語らないだけのことであって意思表示を求めれたら必ずやこうありたいと希望する独自の考えが示されるに違いない。しからば日本に帰るのを希望するか或はアメリカの信託統治を希望するか、を直に数字的に表明することが出来るかという段になると未だ嘗て(かつて)民族の問題として取り上げて論議されたことがないので明確に示すことは今のところ不可能であり必要とするなら人民投票を行う外はないであろう。

日本帰属を希望するものは郷愁といったような感傷から出ただけのものでないことは明らかである。琉球人が日本人とは人種言語風習習慣を異にする異民族であると思って居るものは琉球人の中には恐らく一人も居ないと思う。

もし異民族である〔と〕考えて居るならば同じく異みん族(異民族)であるアメリカの統治下に入ろうが日本の統治下に属しようが、異みん族(異民族)の支配をうけることには何ら変りないのであるから、特に日本に帰ればアメリカ以上の経済的援助がうけられる見透しがない限り日本帰属の希望は戦前日本の領土であり、日本国みん(国民)の一部であったという感傷から出たものに過ぎないという見方も誤っては居ないであろうが、琉球人が日本人と同一みん族(民族)であるという所謂血のつながりと、政治的自主心をもちたいという〔民〕族の政治意識は前途に如何なる苦難が横って居ても敢然として乗り越えて行こうとする精神を勇起せしめる。これが日本に帰りたい願望になってくるのではないか。

アメリカの経済援助は琉球の復興に絶大なる恩恵を与えて居ることは言うまでもないが、琉球が日本に帰った場合、日本には琉球の復興を助ける力はないという考え方からアメリカに帰属した方が琉球のためには利益であるとして信託統治を希望するものも居るはずである。人は〔類〕貌が異ると同様にものの考え方も違ってくるのは当然であり其処(そこ)に衆議討論の必要も生じてくる。が、琉球が日本に帰った場合には経済的援助は望まれないという見方は些か独断の嫌いがありはしないかと思う。というのは日本の朝野が琉球の返還を要望して居る事実から推して将来その希望が幸いに容れられた場合、琉球の復興は日本政府および日本国民の責任となってくるし、殊に一九四五年の沖縄戦が日本のための一大犠牲であった事実に対する国〔民〕的良心を喚起せずにはおかないと思う。

それで現実の経済的援助の問題だけでアメリカの統治を希望し或は日本帰属を希望するという態度であってはならないと思う。民族と政治的自主性という遠い慮り(おもんぱかり)によって冷静に考えなければ吾々自らは勿論兒孫(じそん:こやまご)のためにも賢明とは言えない。

吾々は経済的自立〔を〕要請されて居る。これは言うまでもなく自分の力で自分を養って行くことである。人間として民族として当然のことであり、何時までも外国の援助を仰ぐことばかり考えると知らず識らずのうちに乞食みん族(民族)に堕してしまう。吾々は経済的〔自〕立を念願するがそれは必然的に政治的独立への願望ともなつてくる。

琉球の帰属はどうなるかは一にアメリカの意志によって決定される。日本の政党方面では琉球の主権及び領土権は日本に帰して貰いアメリカの必要とする軍事基地は租借の形式をとるという希望も出て居るようであるが、アメリカのアジアに於ける国防第一線がアリューシャン、日本、琉球、台湾、比律賓(フィリピン)の線におかれて居るという冷厳なる事実と国際情勢とを吾々は正視し、如何に運命づけられるかを自らの判断でにん識(認識)してこれに対処する心構えを整えておかなければならぬ。希望と現実とは同一ではない。

琉球の歸属(原文)

ダレス特使の日本訪問が日本に講和條約締結を急速に實現するための準備であることゝ、戰勝國たるアメリカが敗戰國たる日本に對し條約案の無條件受諾を押しつけるような態度を避けて對等の立場に於て日本側の希望に耳を傾けるという態度をとつて居ることは日本國民に好印象を與えて居るようである。

勿論アメリカがそういう態度をとつて居るからというて日本の言い分を全部受け入れるはずはない。アメリカの國策の線にそい得るもの又アメリカとして爲し得る範囲のものしか容にんしないであろう。

日本の朝野は擧げて講和後の經濟援助と國連による安全保障の確にんと琉球、小笠原、千島の返還等を要求し、吉田首相からダレス特使に希望を傳えたと得られて居る。その中で琉球住民にとつて最大の關心事となつて居るのはわが琉球諸島の歸属問題である。

自分らの政治的運命が決定されるのに無關心で居られるものは一人として居ないはずである 今まで沈默して語らないだけのことであつて意思表示を求めれたら必ずやこうありたいと希望する独自の考えが示されるに違いない。しからば日本に歸るのを希望するか或はアメリカの信託統治を希望するか、を直に数字的に表明することが出来るかという段になると未だ嘗て民族の問題として取り上げて論議されたことがないので明確に示すことは今のところ不可能であり必要とするなら人民投票を行う外はないであろう。

日本歸属を希望するものは鄕愁といつたような感傷から出ただけのものでないことは明らかである。琉球人が日本人とは人種言語風習習慣を異にする異民族であると思つて居るものは琉球人の中には恐らく一人も居ないと思う。

もし異民族である〔と〕考えて居るならば同じく異みん族であるアメリカの統治下に入ろうが日本の統治下に属しようが、異みん族の支配をうけることには何ら變りないのであるから、特に日本に歸ればアメリカ以上の經濟的援助がうけられる見透しがない限〔り〕日本歸属の希望は戰前日本の領土であり、日本國みんの一部であつたという感傷から出たものに過ぎないという見方も誤つては居ないであろうが、琉球人が日本人と同一みん族であるという所謂血のつながりと、政治的自主心をもちたいという〔民〕族の政治意識は前途に如何なる苦難が横つて居ても敢然として乗り越えて行こうとする精神を勇起せしめる。これが日本に歸りたい願望になつてくるのではないか。

アメリカの經濟援助は琉球の復興に絶大なる恩恵を與えて居ることは言うまでもないが、琉球が日本に歸つた場合、日本には琉球の復興を助ける力はないという考え方からアメリカに歸属した方が琉球のためには利益であるとして信託統治を希望するものも居るはずである。人は〔類〕貌が異ると同様にものゝ考え方も違つてくるのは當然であり其処に衆議討論の必要も生じてくる。が、琉球が日本に歸つた場合には經濟的援助は望まれないという見方は些か独斷の嫌いがありはしないかと思う というのは日本の朝野が琉球の返還を要望して居る事實から推して將來その希望が幸いに容れられた場合 琉球の復興は日本政府および日本國民の責任となつてくるし、殊に一九四五年の沖縄戰が日本のための一大犠牲であつた事實に対する國〔民〕的良心を喚起せずにはおかないと思う。

それで現實の經濟的援助の問題だけでアメリカの統治を希望し或は日本歸属を希望するという態度であつてはならないと思う。民族と政治的自主性という遠い慮りによつて冷静に考えなければ吾々自らは勿論兒孫のためにも賢明とは言えない。

吾々は經濟的自立〔を〕要請されて居る。これは言うまでもなく自分の力で自分を養つて行くことである 人間として民族として當然のことであり、何時までも外國の援助を仰ぐことばかり考えると知らず識らずのうちに乞食みん族に堕してしまう。吾々は經濟的〔自〕立を念願するがそれは必然的に政治的独立への願望ともなつてくる。

琉球の歸属はどうなるかは一にアメリカの意志によつて決定される。日本の政黨方面では琉球の主權及び領土權は日本に歸して貰いアメリカの必要とする軍事基地は租借の形式をとるという希望も出て居るようであるが、アメリカのアジアに於ける国防第一線がアリューシャン、日本、琉球、台湾、比律賓の線におかれて居るという冷厳なる事實と國際情勢とを吾々は正視し、如何に運命づけられるかを自らの判斷でにん識してこれに對処する心構えを整えておかなければならぬ。希望と現實とは同一ではない。

・昭和26年(1951年)2月3日、沖縄タイムス1面。

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